・・・さア、其奴の垂れてるのを一寸瞥見しただけなんだが、私は胸がむかついて来た。形容詞じゃなく、真実に何か吐出しそうになった。だから急いで顔を背けて、足早に通り抜け、漸と小間物屋の開店だけは免れたが、このくらいにも神経的になっていた。思想が狂って・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・姿も心も変り果てて、渦巻いていた美しい髪の毛が死んだもののように垂れている化物にして、それを僕に授けたのだ。それまでは、何処やら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心もなかったが、その時から僕は君を憎み始めて、君から遠ざかるように・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・一つは丸い小い葉で、一つは万年青のような広い長い葉で、今一つは蘭のような狭い長い葉が垂れて居る。ようよう床屋の前まで来たのであった。また曲った道をいくつも曲って、とうとう内へ帰りついて蒲団の上へ這い上った。燈炉を燃やして室は煖めてある。湯婆・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ アラムハラドは長い白い着物を着て学者のしるしの垂れ布のついた帽子をかぶり低い椅子に腰掛け右手には長い鞭をもち左手には本を支えながらゆっくりと教えて行くのでした。 そして空気のしめりの丁度いい日またむずかしい諳誦でひどくつかれた次の・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・柳の葉の垂れた池の畔で、ボートに横えられている濡れ鼠の姉を抱きしめて驚愕と安心とで泣きながらババはたずねる。「イレーネ、死ななかってよかったと思う?」やっと正気に戻ったイレーネは辛うじてききとれる声で「恥しいわ」と答える。そして、「このこと・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・そして頭を前の方に垂れて市場の方へと往ってしまった。リュウマチスのために身体をまるで二重にして。 見るがうちにかれは群集のうちに没してしまった。群集は今しも売買に上気て大騒ぎをやっている。牝牛を買いたく思う百姓は去って見たり来て見たり、・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 戸は開け放して、竹簾が垂れてある。お為着せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出ているものも、まだ為事には掛からずに、扇などを使っている。「お早う」位を交換するのもある。黙って頤で会釈するのもある。どの顔も蒼ざめた・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・背後には小さい帷が垂れてある。 ツァウォツキイはすぐに女房を見附けた。それから戸口の戸を叩いた。 戸が開いて、閾の上に小さい娘が出た。年は十六ぐらいである。 ツォウォツキイにはそれが自分の娘だということがすぐ分かった。「なん・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ 雨垂れの音が早くなった。池の鯉はどうしているか、それがまた灸には心配なことであった。「雨こんこん降るなよ。 屋根の虫が鳴くぞよ。」 暗い外で客と話している俥夫の大きな声がした。間もなく、門口の八つ手の葉が俥の幌で揺・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・あの首を前へ垂れた格好も、少し無理である。 しかし立場を換えてこの画に対すると、非難はこれだけではすまない。なるほどこの画は清らかで美しい。けれどもそれはあまりに弱々しく、あまりに単純ではないか。我々はこういう甘い快さで、深い満足が得ら・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫