・・・どうせ本式の盗棒なら垣根だって御門だって越すから木戸なんか何にもなりゃア仕ないからね」 と半分折れて出たのでお徳「そう言えばそうさ。だからお前さんさえ開閉を厳重に仕ておくれなら先ア安心だが、お前さんも知ってるだろう此里はコソコソ泥棒・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・炭俵に火なぞをつけて、あんな垣根の方へ投ってやるんだもの。わたしは、はらはらして見ていたぞい――ほんとだぞい」 お新はもう眼に一ぱい涙を溜めていた。その力を籠めた言葉には年老いた母親を思うあわれさがあった。「昨日は俺も見ていた。そう・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ と呼ぶ子供を見つけて、高瀬は自分の家の前の垣根のあたりで鞠子と一緒に成った。「鞠ちゃん、吾家へ行こう」 と慰撫めるように言いながら、高瀬は子供を連れて入口の庭へ入った。そこには畠をする鍬などが隅の方に置いてある。お島は上り框の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 私は、朝、昼、晩、みれんがましく、縁側に立って垣根の向うの畑地を眺める。あの、中年の女のひとが、贋物でなくて、ひょっこり畑に出て来たら、どんなに嬉しいだろう、と思う。「ごめんなさい。僕は、あなたを贋物だとばかり思っていました。人を疑う・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・柿右衛門が、竈のまえにしゃがんで、垣根のそとの道をとおるお百姓と朝の挨拶を交している。お百姓の思うには、「柿右衛門さんの挨拶は、ていねいで、よろしい。」柿右衛門は、お百姓のとおったことすら覚えていない。ただ、「よい品ができあがるように。」・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
始めてこの浜へ来たのは春も山吹の花が垣根に散る夕であった。浜へ汽船が着いても宿引きの人は来ぬ。独り荷物をかついで魚臭い漁師町を通り抜け、教わった通り防波堤に沿うて二町ばかりの宿の裏門を、やっとくぐった時、朧の門脇に捨てた貝・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根に咲きそろっていつもの蛾の群れはいつものようにせわしく蜜をせせっているのであった。 地震があればこわれ・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・ 爺さんは植木屋の頭に使われて、其処此処の庭の手入れをしたり垣根を結えたりするのが仕事なのだ。それでも家には小金の貯えも少しはあって、十六七の娘に三味線を仕込などしている。遊芸をみっちり仕込んだ嫖致の好い姉娘は、芝居茶屋に奉公しているう・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・尤も日本の女が外から見える処で行水をつかうのは、『阿菊さん』の著者を驚喜せしめた大事件であるが、これはわざわざ天下堂の屋根裏に登らずとも、自分は山の手の垣根道で度々出遇ってびっくりしているのである。この事を進めていえば、これまで種々なる方面・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・庭は随分ひろいようで、まだ枯れずにいる松の木立が枯蘆の茂った彼方の空に聳えている。垣根はないが低い土手と溝とがあるので、道の此方からすぐ境内へは這入れない。 わたくしは小笹の茂った低い土手を廻って、漸く道を求め、古松の立っている鳥居の方・・・ 永井荷風 「元八まん」
出典:青空文庫