・・・これでも人を埋めるのだ。私はこの石ばかりの墓場が何かのシンボルのような気がした。今でもあの荒涼とした石山とその上の曇った濁色の空とがまざまざと目にのこっている。 温かき心 中禅寺から足尾の町へ行く路がまだ古河橋の所へ・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・そしてこの恐ろしい溝を埋める工夫をしなければならない。お前たちの母上の死はお前たちの愛をそこまで拡げさすに十分だと思うから私はいうのだ。 十分人世は淋しい。私たちは唯そういって澄ましている事が出来るだろうか。お前達と私とは、血を味った獣・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 死力を籠めて、起上ろうとすると、その渦が、風で、ごうと巻いて、捲きながら乱るると見れば、計知られぬ高さから颯と大滝を揺落すように、泡沫とも、しぶきとも、粉とも、灰とも、針とも分かず、降埋める。「あっ。」 私はまた倒れました。・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・土に埋めるだな、土葬にしべえ。(半ばくされたる鯉の、肥えて大なるを水より引上ぐ。客者引導の文句は知らねえ。怨恨あるものには祟れ、化けて出て、木戸銭を、うんと取れ、喝!(財布と一所に懐中に捻じ込みたる頭巾に包み、腰に下げ、改って蹲はッ、静御前・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 更に、べつの皮肉屋の言うのには、「七月一日から煙草が値上りになるのは、たびたびの盗難による専売局の赤字を埋めるためだ」と。 それほど盗難が多いし、また闇商人が語っているように、横流しが多いのだ。そして、それが闇市場でまるで新聞・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・思想は書棚を埋める壁土にしか過ぎなかった。壁にかかった星座早見表は午前三時が十月二十何日に目盛をあわせたまま埃をかぶっていた。夜更けて彼が便所へ通うと、小窓の外の屋根瓦には月光のような霜が置いている。それを見るときにだけ彼の心はほーっと明る・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・弁公は堀を埋める組、親父は下水用の土管を埋めるための深いみぞを掘る組。それでこの日は親父はみぞを掘っていると、午後三時ごろ、親父のはね上げた土が、おりしも通りかかった車夫のすねにぶつかった。この車夫は車も衣装も立派で、乗せていた客も紳士であ・・・ 国木田独歩 「窮死」
一「アナタア、ザンパン、頂だい。」 子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套にくるまって、頭を襟の中に埋めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のよ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・そこで少し離れた土管に腰をかけて煙草を吸いながらかきかけの絵の穴を埋める事を考えていた。 人夫の中には絵をのぞきに来るものもあった。そしていろいろ人を笑わせるつもりらしい粗暴なあるいは卑猥な言語を並べたりした。「あの曲がった煙突をかくと・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・ 無闇に井戸を掘って熱泉を噴出させたために規則正しい大湯の週期的噴泉に著しい異状を来したというので県庁の命令で附近の新しい噴泉井戸を埋めることになった。自分は官命によってその埋井工事を見学に行ったが、それは実に珍しい見ものであった。二、・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
出典:青空文庫