・・・ 沼地などの多い、土地の低い部分を埋めるために、その辺一帯の砂がところどころ刳り取られてあった。砂の崖がいたるところにできていた。釣に来たときよりは、浪がやや荒かった。「この辺でも海の荒れることがあるのかね」「それあありますとも・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・春雨の格子戸に渋蛇の目開きかける様子といい、長火鉢の向うに長煙管取り上げる手付きといい、物思う夕まぐれ襟に埋める頤といい、さては唯風に吹かれる髪の毛の一筋、そら解けの帯の端にさえ、いうばかりなき風情が生ずる。「ふぜい」とは何ぞ。芸術的洗練を・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・およそ世の読者に興味のあるような残忍の事件はそう毎日毎日、紙上を埋めるほど頻々として連続するものではない。例えば、日大の学生がその母と妹とに殺された事件、玉の井の溝からばらばらに切り放された死人の腕や脚が出た事などは今だに人の記憶しているく・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・「ちょうど葬式の当日は雪がちらちら降って寒い日だったが、御経が済んでいよいよ棺を埋める段になると、御母さんが穴の傍へしゃがんだぎり動かない。雪が飛んで頭の上が斑になるから、僕が蝙蝠傘をさし懸けてやった」「それは感心だ、君にも似合わな・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・そこに小さな五六人の人かげが、何か掘り出すか埋めるかしているらしく、立ったり屈んだり、時々なにかの道具が、ピカッと光ったりしました。「行ってみよう。」二人は、まるで一度に叫んで、そっちの方へ走りました。その白い岩になった処の入口に、・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・ 女中に「抜毛を竹の根元に埋めると倍になって生えるそうだ」と母が「裏の姫竹の根に埋めておやり」と命じた。 女中はハイハイとうけ合って居たっけがそのまんま忘れて午後になって見ると大根の切っ端やお茶がらと一緒に水口の「古馬けつ」の中に入・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・そこに文学が大衆の生活との繋りを失う原因があるのであるから、新しい文学の方向としては、この両者の距離を埋めるような均衡を見出してゆくようなものが求められると言っている。 作家武田麟太郎氏は、日本文学の庶民性を主張しつつある作家である。日・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・女の姿のまるみのみえる逆説的の不思議はそこに普段着のごとく書けよ流れるごとく書けよ まるでみどりの房なす樹々が 秋にたくさん葉をふらすのように とめどもなくふってその根を埋めるように たくさんの可能がその・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ いろんな国の品物のいろいろな面白さのよろこびで一つ二つのものが、家のあちこちにひょい、ひょいとあるのは自然にうけられるけれど、家具調度一式琉球とか朝鮮とかいうところのもので埋める趣味があるとすれば、その一つ一つがもっている美しさとは、・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・大浦の祭壇や聖像は生花の束で飾られて居たが、この宏い大聖壇を埋めるに充分な花は得難いと見え、厚紙細工の棕櫚らしいものが、大花瓶に立ててある。この大会堂に信者が溢れて、復活祭でも行われる時は壮観であろう。然し私の好みを云うなら、自分は大浦の、・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
出典:青空文庫