・・・懐疑といい疑惑というもその議論は総てドグマの城壁を固めて而してドグマを以て徹底した思想とし安心し切っておる。二葉亭が苦悶を以て一生を終ったに比較して渠らは大いなる幸福者である。 明治の文人中、国木田独歩君の生涯は面白かった。北村透谷君の・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・ 彼の都会に於て、虚栄の町に於て、もしくは富豪の家庭にて、潜在する如き幾多の虚偽と罪悪に満ちた生活には、外面は城壁で守られ、また剣で講られる必要があっても、内部に何の反撥する力というものが存在しない。一蹴すれば、蟻の塔のようにもろく壊れ・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・旱魃を免れた県には、米穀県外移出禁止というような城壁が築かれてはいるが、表門は閉っていても、裏のくゞり戸があいているので、四斗俵ならぬ三斗五升いりの袋ならその門を通過させてもらえるのだと笑っていた。 この頃好景気のある船会社の船長の細君・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・ポオル・ド・コックは何も郊外の風景その物を写生する目的ではないが、今から五、六十年前 Louis-Philippe 王政時代の巴里の市民が狭苦しい都会の城壁を越えて郊外の森陰を散歩し青草の上で食事をする態をば滑稽なる誇張の筆致を以てその小説・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・四年前の戦に甲も棄て、鎧も脱いで丸裸になって城壁の裏に仕掛けたる、カタパルトを彎いた事がある。戦が済んでからその有様を見ていた者がウィリアムの腕には鉄の瘤が出るといった。彼の眼と髪は石炭の様に黒い。その髪は渦を巻いて、彼が頭を掉る度にきらき・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴え、城壁の周囲に立てた支那の旗が、青や赤の総をびらびらさせて、青竜刀の列と一所に、無限に沢山連なっていた。どこからともなく、空の日影がさして来て、宇宙が恐ろしくひっそりしていた。 長い、長い時間の・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・女はだまったまんま自分の部屋自分の城壁の中に入った。男もそのあとから入って後手に障子をしめながら片ひざはもう畳について居た。がっかりした様な男の様子を見てお龍はひやっこい声で、「とうとうかえってきたのねえ、あんたは、家出をして又舞いもど・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・その河が二股にわかれた北河岸に、不規則な三角形の城壁でとりまかれた一区廓は、全世界のブルジョアとプロレタリアートに一種の感銘をもってその名をひびかしているところのクレムリン。 この頃は城壁内の青草が茂って、ビザンチン式の古風な緑や茶色の・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
・・・昔々モスクワ大公が金糸の刺繍でガワガワな袍の裾を引きずりながら、髯の長い人民を指揮してこしらえた中世紀的様式の城壁ある市だ。現代СССРの勤労者が生産に従事し新しい生活様式をつくりつつある工場、クラブと、住んで、そこで石油コンロを燃している・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
出典:青空文庫