・・・所詮、作者の、愚かな感傷ではありますが、殺された女学生の亡霊、絶食して次第に体を萎びさせて死んだ女房の死顔、ひとり生き残った悪徳の夫の懊悩の姿などが、この二、三日、私の背後に影法師のように無言で執拗に、つき従っていたことも事実であります。・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・けれども、けれども血は、山で育った私の馬鹿な血は、やはり執拗に叫ぶのだ。 ――否! 一八九六年、六月のなかば、ロンドン博物館附属動物園の事務所に、日本猿の遁走が報ぜられた。行方が知れぬのである。しかも、一匹でなかった。二匹である・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・すなわち、こういう遅緩なテンポとリズムを使用することによって、ロシアの片田舎のムジークの鈍重で執拗な心持ちがわれわれ観客の心の中にしみじみとしみ込んで来るような気がしないことはない。 葬式の行列もやはりわれわれには多少テンポのゆるやかす・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・一応わかった事をどこまでも執拗にだめを押して行くのがドイツ魂であって、そのおかげで精密科学が発達するのであろう。 この種類の映画がこの方向に進歩したらおしまいにはドイツの古典音楽のようなものができるという可能性があるかもしれない。そうい・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・若し、飯場の人たちが、親も子も帰らない事を気遣って、探しに来なかったならば、その親たちと同じ運命になるのであったほど、執拗に首を擡げる事を続けたであろう。 飯場の血気な労働者たちは、すっかり暗くなった吹雪の中で、屍体の首を無理にでも・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・女らしさというものの曖昧で執拗な桎梏に圧えられながら生活の必要から職業についていて、女らしさが慎ましさを外側から強いるため恋愛もまともに経験せず、真正の意味での女らしさに花咲く機会を失って一生を過す人々、または、女らしき貞節というものの誤っ・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・そこまで積極的にプロレタリアの課題とするところまで高めたなら、佐田の実践はよしんばあの形態において書かれたにしろ、その個人的な非組織性――小ブルジョア的なアナーキー性に対し、作者は目的を貫徹するための執拗な周密な行動を、集注し指導し更に一層・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ と、ナポレオンは云いながら、執拗な痒さのためにまた全身を慄わせた。「陛下、お寒いのでございますか」「余は胸が痛むのだ」「侍医をお呼びいたしましょうか」「いや、余は暫くお前と一緒に眠れば良い」 ナポレオンはルイザの肩・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・ 私は絶えずチクチク私の心を刺す執拗な腹の虫を断然押えつけてしまうつもりで、近ごろある製作に従事した。静かな歓喜がかなり永い間続いた。そのゆえに私は幸福であった。ある日私はかわいい私の作物を抱いてトルストイとストリンドベルヒの前に立った・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・次に油絵の具は、その粘着力のゆえに、現実と取り組んで行くような、執拗な熱のある筆触の感じを出すことができる。日本絵の具はそれに反して、あくまでもサラサラと、清水が流れ走るような淡白さを筆触の特徴とするように見える。また色彩の上から言っても、・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫