・・・虫歯が疚いて堪え難いでな。」と、成程左の頬がぷくりとうだばれたのを、堪難い状に掌で抱えて、首を引傾けた同じ方の一眼が白くどろんとして潰れている。その目からも、ぶよぶよした唇からも、汚い液が垂れそうな塩梅。「お慈悲じゃ。」と更に拝んで、「手足・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・そうにでもしなければこの人生という処は実に堪え難い処だ! 併し食わなければならぬという事が、人間から好い感興性を奪い去ると同時に悪い感興性の弾力をも奪い取って了うのだ。そして穴のあいたゴム鞠にして了うのだ――「そうだ、感興性を失った芸術・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・『そこで僕は今夜のような晩に独り夜ふけて燈に向かっているとこの生の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催して来る。その時僕の主我の角がぼきり折れてしまって、なんだか人懐かしくなって来る。いろいろの古い事や友の上を考えだす。その時油然として僕・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・彼女の心は、堪え難い程苦しく重い、而も、云うことは出来ないのです。口には云わず心配の多い母、自然の足許に、此も無言の裡に悩む一人の娘が、いつまでも立っていました。 彼女を結婚させなければならないと云うことは、スバーの両親にとって、一方な・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・私は独り残され、侘しさ堪え難い思いである。その実を犇と護らなん、と呶鳴るようにして歌った自分の声が、まだ耳の底に残っているような気がする。白日夢。私は立上って、茶店のほうに歩いた。袂をさぐってみると、五十銭紙幣は、やはりちゃんと残って在る。・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・きまりきった日々の課業をして暇な時間を無意味に過すと云うような事がむしろ堪え難い苦痛であった。ただ何かしら絶えず刺戟が欲しい。快楽とか苦痛とか名の付くようなものでなく、何んだか分らぬ目的物を遠い霞の奥に望んで、それをつかまえよう/\としてい・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・しかしここでもし下手な監督がこのような筆法を皮相的にまねてこれに似たことをやったとしたら、この単調な繰り返しはたぶん堪え難い倦怠を招くほかはないであろう。実際そういうまずいほうの実例はいくらでもある。それをそうさせない微妙な呼吸はただこの際・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 当惑した私は裏の物置きへその行李を持ち込んで行って、そこに母子を閉じ込めてしまった、残酷なような気もしたが、家じゅうの畳をよごされるのは私には堪え難い不愉快であった。 物置きの戸をはげしく引っかく音がすると思っていると、突然高い無・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・しかし先ず大抵の絵は少し永く見ていると直にそれほどの魅力はなくなる、そして往々一種の堪え難い浮薄な厭味が鼻につく場合も少なくない。技巧というものが畢竟それ限りのものであって、それ以上の何物をも有せぬものとすれば、これは当然な事ではあるまいか・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責である。その影響は単にその場限りでなくて、下車した後の数時・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
出典:青空文庫