・・・町を放れた場末の夜はひっそりとして、車一つ通らぬ。ただ海の鳴る音が宵に聞いたよりももの凄く聞える。私は体の休まるとともに、万感胸に迫って、涙は意気地なく頬を湿らした。そういう中にも、私の胸を突いたのは今夜の旅籠代である。私もじつは前後の考え・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・踊子の太った足も、場末の閑散な冬のレヴュ小屋で見れば、赤く寒肌立って、かえって見ている方が悲しくうらぶれてしまう。興冷めた顔で洟をかんでいると、家人が寝巻の上に羽織をひっかけて、上って来た。砂糖代りのズルチンを入れた紅茶を持って来たのである・・・ 織田作之助 「世相」
今もそのアパートはあるだろうか、濡雑巾のようにごちゃごちゃした場末の一角に、それはまるで古綿を千切って捨てたも同然の薄汚れた姿を無気力に曝していた。そのあたりは埋立地のせいか年中じめじめした湿気が去らなかった。日の射さぬ中・・・ 織田作之助 「道」
・・・犬の寝場所は、もとのところは、家でもたちつまっておいたてられたと見えて、先とはちがった場末の、きたない空地にうつっていました。病犬は、そこにころがっている古材木の下にこごまって、苦しそうに腹でいきをしていました。 肉屋は、あくる日、大き・・・ 鈴木三重吉 「やどなし犬」
・・・ すべて、東京の場末の感じである。「眠くなって来た。帰ります。」なんの情緒も無かった。 宿へ帰ったのは、八時すぎだった。私は再び、さむらいの姿勢にかえって、女中さんに蒲団をひかせ、すぐに寝た。明朝は、相川へ行ってみるつもりである・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・ 秩序ある生活と、アルコールやニコチンを抜いた清潔なからだを純白のシーツに横たえる事とを、いつも念願にしていながら、私は薄汚い泥酔者として場末の露地をうろつきまわっていたのである。なぜ、そのような結果になってしまうのだろう。それを今ここ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ アムステルダアム 測候所を尋ねて場末の堀河に沿って歩いて行った。子供の時分に夢に見ていた古風な風景画の景色が到るところ眼前に拡がっていた。堀河にもやっている色々の船も、渋くはなやかに汚れた帆も、船頭のだぶだぶした・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・たとえば場末の洋食屋で食わされるキャベツ巻きのようにプンとするものを感じる。これはおそらくアメリカそのもののにおいであろう。しかしこのクルト・ワイルのジャズにはそれがみじんもなくて、ゲーテやバッハを生んだドイツ民族の情緒が濃厚ににじみだして・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・門番のおばさんでも、気の変な老紳士でも、メーゾン・レオンの亭主でも、悪漢とその手下でも、また町のオーケストラでも、やっぱり縦から見ても横から見てもパリの場末のそれらのタイプである。 レオンの店をだされたアンナが町の花屋の屋台の花をぼんや・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ 思うに「場末の新開町」という言葉は今の東京市のほとんど全部に当てはまる言葉である。 十一月二日、水曜。渋谷から玉川電車に乗った。東京の市街がどこまでもどこまでも続いているのにいつもながら驚かされた。 世田が谷という所がどこ・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫