・・・ 公園の茶店に、一人静に憩いながら、緋塩瀬の煙管筒の結目を解掛けつつ、偶と思った。…… 髷も女優巻でなく、わざとつい通りの束髪で、薄化粧の淡洒した意気造。形容に合せて、煙草入も、好みで持った気組の婀娜。 で、見た処は芸妓の内証歩・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・房の切れた、男物らしいのを細く巻いたが、左の袖口を、ト乳の上へしょんぼりと捲き込んだ袂の下に、利休形の煙草入の、裏の緋塩瀬ばかりが色めく、がそれも褪せた。 生際の曇った影が、瞼へ映して、面長なが、さして瘠せても見えぬ。鼻筋のすっと通った・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・がこれでまだ、発つ朝に塩瀬へでも寄って生菓子を少し仕入れて行かなくちゃ……」 壁の衣紋竹には、紫紺がかった派手な色の新調の絽の羽織がかかっている。それが明日の晩着て出る羽織だ。そして幸福な帰郷を飾る羽織だ。私はてれ隠しと羨望の念から、起・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・赤いてがらの細君は帯の間から塩瀬の小い紙入を出して、あざやかな発音で静かに、「のりかえ、ふかがわ。」「茅場町でおのりかえ。」と車掌が地方訛りで蛇足を加えた。 真直な往来の両側には、意気な格子戸、板塀つづき、磨がらすの軒燈さてはま・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 大騒ぎで褞袍を脱がせ、それを自分が羽織ったなりで里栄は今まで着ていた長襦袢を先ず着せ、青竹色の着物を着せ、紅塩瀬に金泥で竹を描いた帯まで胸高に締めさせられた章子の様子には、ひろ子も腹をいたくした。「なんえ、これ! かわいそうな目に・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・ 地面にじかに投げ出されたものの中には、塩瀬の奇麗な紙入だの、歌稿などが、夜露にしめった様にペショペショになってある。「此那になって居るのを見るのはほんとにいやだ事。一そ一思いに皆持って行って仕舞えば好いのに。 私は、醜・・・ 宮本百合子 「盗難」
出典:青空文庫