・・・ 人は、自分が従来服従し来ったところのものに対して或る反抗を起さねばならぬような境地(と私は言いたい。理窟は凡に立到り、そしてその反抗を起した場合に、その反抗が自分の反省の第一歩であるという事を忘れている事が、往々にして有るものである。・・・ 石川啄木 「性急な思想」
今も尚お、その境地から脱しないでいる私にあっては、『貧乏時代』と、言って、回顧する程のゆとりを心の上にも、また、実際の上にも持たないのでありますが、これまでに経験したことの中で、思い出さるゝ二三の場合について、記して見ます。 何と・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・これなどは、容易に、絵では描きあらわされない境地であろうと思います。 また、文は、その人為を現わすといわれています。その人の感情、感想から生れたものが、その人の文章であるかぎり、人格を現わすに不思議がないのでありましょう。故に、文章を読・・・ 小川未明 「読むうちに思ったこと」
・・・このことは、小説というものについて、ことに近代小説の思想性について少しでも考えた人なら、誰しも気づいていた筈だが、最高の境地という権威がわざわいしたのと、日本の作家や批評家の中で多かれ少かれ志賀直哉の小説というより、その眼や境地や文章から影・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それは二人の勝負師が無我の境地のままに血みどろになっている瞬間であった。 坂田の耳に火のついたような赤ん坊の泣き声がどこからか聴えて来る瞬間であった。 そして坂田はその声を聴きながら、再び負けてしまったのである。・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・人間の宇宙との一致、人間存在の最後の立命は知性と思想とをこえた境地である。いと高く、美しき思想もそれが思想である限りは、「なくてならぬ究竟唯一」のものではない。書物は究竟者そのものを与え得ない。それは仏教では「絶学無為の真道人」と呼ぶのであ・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・私はひとつの境地から、他の境地へと絶えず精進しつつあるものだ。そしてその転身の節目節目には必ず大作を書いているのだ。愛読者というものはそれでなくては作者にとってたのみにはならない。 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・ しかしながら涅槃の境地に直ちに達しられるものではない。それにはいろいろな人生の歩みと、心境の遍歴とを経ねばならぬ。信仰を求めつつ、現在の生活に真面目で、熱心で、正直であれば、次第にそのさとりの境地に近づいて行くのである。それ故信仰の女・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・と、安心立命の一境地に立って心中に叫んだ。 ○ 天皇は学校に臨幸あらせられた。予定のごとく若崎の芸術をご覧あった。最後に至って若崎の鵞鳥は桶の水の中から現われた。残念にも雄の鵞鳥の頸は熔金のまわりが悪くて断れていた。・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・政元はどういう修法をしたか、どういう境地にいたか、更に分らぬ。人はただその魔法を修したるを知るのみであった。 政元は行水を使った。あるべきはずの浴衣はなかった。小姓の波ははかべは浴衣を取りに行った。月もない二十三日の夕風は颯と起った。右・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
出典:青空文庫