・・・その右に墓場がある。墓場は石ばかりの山の腹にそうて開いたので、灰色をした石の間に灰色をした石塔が何本となく立っているのが、わびしい感じを起させる。草の青いのもない。立花さえもほとんど見えぬ。ただ灰色の石と灰色の墓である。その中に線香の紙がき・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・揺籃の前で道は二つに分かれ、それが松葉つなぎのように入れ違って、しまいに墓場で絶えている。二 人の世のすべての迷いはこの二つの道がさせる業である、人は一生のうちにいつかこのことに気がついて、驚いてその道を一つにすべき術を考え・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・中でも裏山の峰に近い、この寺の墓場の丘の頂に、一樹、榎の大木が聳えて、その梢に掛ける高燈籠が、市街の広場、辻、小路。池、沼のほとり、大川縁。一里西に遠い荒海の上からも、望めば、仰げば、佇めば、みな空に、面影に立って見えるので、名に呼んで知ら・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・僕はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。 僕は何にもほしくありません。御飯は勿論茶もほしくないです、このままお暇願います、明日はまた早く上りますからといって帰ろうとすると、家中で引留める。民子のお母さんはもうたまらなそうな風・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ こう思うと、また、古寺の墓場のように荒廃した胸の中のにおいがして来て、そのくさい空気に、吉弥の姿が時を得顔に浮んで来る。そのなよなよした姿のほほえみが血球となって、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がッかり疲労し、手も不断よ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・私は衰えきった顔して、毎日下宿の二階から、隣りの墓場を眺めて暮していたのだ。笹川は同情して、私に金を貸してくれた。その上に彼は、書きさえすれば原稿を買ってやるという雑誌まで見つけてきてくれた。こうして彼は私を鞭撻してくれたのだ。そして今また・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。 俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。 この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・この島に生れてこの島に死し、死してはあの、そら今風が鳴っている山陰の静かな墓場に眠る人々の仲間入りして、この島の土となりたいばかり。 お露を妻に持って島の者にならっせ、お前さん一人、遊んでいても島の者が一生養なって上げまさ、と六兵衛が言・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・窮乏せる結婚生活が恋愛の墓場であるにしても、オールドミスの孤独地獄よりはなおまさっている。ヒステリーに陥らずに、瘠我慢の朗らかさを保ち得るものが幾人あろう。 倉田百三 「婦人と職業」
・・・その時にでも、スパイは、小うるさく、僕の背後につき纒って、墓場にまでやって来るだろう。 西山も、帰るとスパイにつき纒われる仲間の一人だ。その西山が胸を悪くしてO市から帰っていた。 彼は、もと、若手の組合員だった鍋谷や、宗保や、後・・・ 黒島伝治 「鍬と鎌の五月」
出典:青空文庫