・・・おかしいことには、その時の手術室の壁間に掲げてあった油絵の額が実にはっきり印象に残っている。当時には珍しいボールドなタッチでかいた絵で、子供をおぶった婦人が田んぼ道を歩いている図であった。激烈な苦痛がその苦痛とはなんの関係もない同時的印象を・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・少女は四十年前と同じ若々しさ、あどけなさをそのままに保存してエメラルド色のひとみを上げて壁間の聖母像に見入っているのである。着物の青も豊頬の紅も昔よりもかえって新鮮なように思われるのであった。 ただ一瞥を与えただけで自分は惰性的に神保町・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・在来の型以外のものに対して盲目な公衆の眼にはどうしても軽視され時には滑稽視されるのは誠に止むを得ぬ次第であるが、そういう人でも先ず試みに津田君のこの種の絵と技巧の一点張の普通の絵と並べて壁間に掲げ、ゆっくり且つ虚心に眺めて見るだけの手数をし・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・愈この盾を使わねばならぬかとウィリアムは盾の下にとまって壁間を仰ぐ。室の戸を叩く音のする様な気合がする。耳を峙てて聞くと何の音でもない。ウィリアムは又内懐からクララの髪毛を出す。掌に乗せて眺めるかと思うと今度はそれを叮嚀に、室の隅に片寄せて・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫