・・・真向うに、矗立した壁面と、相接するその階段へ、上から、黒く落ちて、鳥影のように映った。が、羽音はしないで、すぐその影に薄りと色が染まって、婦の裾になり、白い蝙蝠ほどの足袋が出て、踏んだ草履の緒が青い。 翼に藍鼠の縞がある。大柄なこの怪し・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・右手の方の空間で何かキラキラ光るものがあると思ってよく見ると、日本橋の南東側の河岸に聳え立つあるビルディングの壁面を方一尺くらいの光の板があちらこちらと這い廻っている。それが一階の右の方の窓を照らすかと思っていると急に七階の左の方へ飛んで行・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・観客はカメラとなって自由自在に空中を飛行しながら生きた美しい人間で作られたそうして千変万化する万華鏡模様を高空から見おろしたり、あるいは黒びろうどに白銀で縫い箔したような生きたギリシア人形模様を壁面にながめたりする。それが実に呼吸をつく間も・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・もっともその日は特に蒸し暑かったのに、ああいう、設計者が通風を忘れてこしらえた美術館であるためにそれがさらにいっそう蒸し暑く、その暑いための不愉快さが戸惑いをして壁面の絵のほうにぶつかって行ったせいもあるであろう。実際二科院展の開会日に蒸し・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・尤もその日は特に蒸暑かったのに、ああいう、設計者が通風を忘れてこしらえた美術館であるためにそれが更に一層蒸暑く、その暑いための不愉快さが戸惑いをして壁面の絵の方に打つかって行ったせいもあるであろう。実際二科院展の開会日に蒸暑くなかったという・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・ ベルリンの美術館などの入口の脇の壁面に数寸角の金属板が蝋燭立かなんかのように飛出しているのを何かと思ったら、入場者が吸いさしのシガーを乗っけておく棚であった。点火したのをそこへ載せておくと少時すると自然に消えて主人が観覧を了えて再び出・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・休憩室の土間の壁面にメンバーの名札がずらりと並んでいる。ハンディキャップの数で等級別に並べてあるそうだが、やはり上手な人の数が少なくて、上手でない人の数が多いから不思議である。黒板に競技の得点表のようなものが書いてある。一等から十等まで賞が・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ 急に暑くなった日に電車に乗って行くうちに頭がぼうっとして、今どこを通っているかという自覚もなくぼんやり窓外をながめていると、とあるビルディングの高い壁面に、たぶん夜の照明のためと思われる大きな片かなのサインが「ジンジンホー」と読まれた・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・また映画ではここでびっこの小使いが現われ、それがびっこをひくので手にさげた燭火のスポットライトが壁面に高く低く踊りながら進行してそれがなんとなく一種の鬼気を添えるのだが、この芝居では、そのびっこを免職させてそれを第二幕の酒場の亭主に左遷して・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・これはおそらく壁面へずっと低く掲げればちょうどよくなると思う。静物も美しい。これはこの人の独歩の世界である。 山下新太郎。 この人の絵にはかつていやな絵というものを見ない。しかし興奮もさせられない。長所であり短所である。時々は世俗のいわ・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
出典:青空文庫