・・・ 戸沢の側に坐っていた父は声高に母へそう云ってから、彼にちょいと目くばせをした。 彼は父とは反対に、戸沢の向う側へ腰を下した。そこには洋一が腕組みをしたまま、ぼんやり母の顔を見守っていた。「手を握っておやり。」 慎太郎は父の・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・しかし私がその努力にやっと成功しそうになると、彼は必ず音を立てて紅茶を啜ったり、巻煙草の灰を無造作に卓子の上へ落したり、あるいはまた自分の洒落を声高に笑ったり、何かしら不快な事をしでかして、再び私の反感を呼び起してしまうのです。ですから彼が・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ そう言って矢部は快げに日の光をまともに受けながら声高に笑った。その言葉を聞くと父は意外そうに相手の顔を見た。そして不安の色が、ちらりとその眼を通り過ぎた。 農場内を一とおり見てまわるだけで十分半日はかかった。昼少し過ぎに一同はちょ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・シオンの山の凱歌を千年の後に反響さすような熱と喜びのこもった女声高音が内陣から堂内を震動さして響き亘った。会衆は蠱惑されて聞き惚れていた。底の底から清められ深められたクララの心は、露ばかりの愛のあらわれにも嵐のように感動した。花の間に顔を伏・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ と低声にいう。かかるものをいかなる言もて慰むべき。果は怨めしくもなるに、心激して、「どうするんです、ミリヤアド、もうそんなでいてどうするの。」 声高にいいしを傍より目もて叱られて、急に、「何ともありませんよ、何、もう、いま・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・老人は声高に、「お香、今夜の婚礼はどうだった」と少しく笑みを含みて問いぬ。 女は軽くうけて、「たいそうおみごとでございました」「いや、おみごとばかりじゃあない、おまえはあれを見てなんと思った」 女は老人の顔を見たり。・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・天秤の先へ風呂敷ようのものをくくしつけ肩へ掛けてくるもの、軽身に懐手してくるもの、声高に元気な話をして通るもの、いずれも大回転の波動かと思われ、いよいよ自分の胸の中にも何かがわきかえる思いがするのである。 省作は足腰の疲れも、すっかり忘・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ と声高に云う声が何処か其処らで…… ぶるぶるとしてハッと気が付くと、隊の伍長のヤーコウレフが黒眼勝の柔しい眼で山査子の間から熟と此方を覗いている光景。「鋤を持ち来い! まだ他に二人おる。こやつも敵ぞ!」という。「鋤は要らん・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪い、切株に腰をかけて書を読んでいると、突然林の奥で物の落・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・短き坂道に来たりし時、下より騎兵二騎、何事をか声高に語らいつつ登りくるにあいたれどかれはほとんどこれにも気づかぬようにて路をよけ通しやりぬ。騎兵ゆき過ぎんとして、後なる馬上の、年若き人、言葉に力を入れ『……に候間至急、「至急」という二字は必・・・ 国木田独歩 「わかれ」
出典:青空文庫