・・・それから一月とたたないうちに今度はせっかくの腕時計や背広までも売るようになって来ました。ではその金はどうしたかと言えば、前後の分別も何もなしにお松につぎこんでしまったのです。が、お松も半之丞に使わせていたばかりではありません。やはり「お」の・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・それでも馬は金輪際売る気がなかった。剰す所は燕麦があるだけだったが、これは播種時から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍糧秣廠に納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよりも割がよかったのだ。商人どもはこのボイコットを如何して見・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・松の枝の地紙形に翳蔽える葉の裏に、葦簀を掛けて、掘抜に繞らした中を、美しい清水は、松影に揺れ動いて、日盛にも白銀の月影をこぼして溢るるのを、広い水槽でうけて、その中に、真桑瓜、西瓜、桃、李の実を冷して売る。…… 名代である。 ・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・家の省作だってこれから売る体じゃないか。戯言に事欠いて、人の体さ疵のつくような事いうもんじゃない。わしが頼むからこれからそんな事はいわないでくろ」「はア」 満蔵はもう恐れ入ってしまって、申しわけも出ない。正直な満蔵は真から飛んだ事を・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・椿岳の画家生活 椿岳の画を学ぶや売るためでなかった。画家の交際をしていても画家と称されるのを欲しなかった。その頃の書家や画家が売名の手段は書画会を開くが唯一の策であった。今日の百画会は当時の書画会の変形であるが、展覧会がなかった時代・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ この手紙を書いた女は、手紙を出してしまうと、直ぐに町へ行って、銃を売る店を尋ねた。そして笑談のように、軽い、好い拳銃を買いたいと云った。それから段々話し込んで、に尾鰭を付けて、賭をしているのだから、拳銃の打方を教えてくれと頼んだ。そし・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 年寄り夫婦は、最初のうちは、この娘は、神さまがお授けになったのだから、どうして売ることができよう。そんなことをしたら、罰が当たるといって承知をしませんでした。香具師は一度、二度断られてもこりずに、またやってきました。そして、年より夫婦・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・ず、すぐ坂を降りましたが、その降りて行く道は、灯明の灯が道から見える寺があったり、そしてその寺の白壁があったり、曲り角の間から生国魂神社の北門が見えたり、入口に地蔵を祠っている路地があったり、金灯籠を売る店があったり、稲荷を祠る時の巻物をく・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・そしてその中へ入って、据り込んで、切符を売る窓口から『さあここへ出せ』って言うんだ。滑稽な話だけど、なんだかその窓口へ立つのが癪で憤慨していると、Oがまたその中へ入ってもう一つの窓口を占領してしまった。……どうだその夢は」「それからどう・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・なるほど二人は内密話しながら露繁き田道をたどりしやも知れねど吉次がこのごろの胸はそれどころにあらず、軍夫となりてかの地に渡り一かせぎ大きくもうけて帰り、同じ油を売るならば資本をおろして一構えの店を出したき心願、少し偏屈な男ゆえかかる場合に相・・・ 国木田独歩 「置土産」
出典:青空文庫