・・・――どうだい、この間出した本の売れ口は?」「不相変ちっとも売れないね。作者と読者との間には伝熱作用も起らないようだ。――時に長谷川君の結婚はまだなんですか?」「ええ、もう一月ばかりになっているんですが、――その用もいろいろあるもので・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・現に又それは十二売れば、銀一枚になるのに違いなかった。林檎はもちろんこの時以来、彼には金銭にも変り出した。 或どんより曇った午後、ファウストはひとり薄暗い書斎に林檎のことを考えていた。林檎とは一体何であるか?――それは彼には昔のように手・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・雑穀屋からは、燕麦が売れた時事務所から直接に代価を支払うようにするからといって、麦や大豆の前借りをした。そして馬力を頼んでそれを自分の小屋に運ばして置いて、賭場に出かけた。 競馬の日の晩に村では一大事が起った。その晩おそくまで笠井の娘は・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・……それにしてもどうしてここにいる人たちの画はこんなに売れないんでしょうねえ。沢本 わかり切っているじゃないか。俺たちがりっぱなものを描くからだ……世の中の奴には俺たちの仕事がわからないんだ……ああ俺はもうだめだ。瀬古 ともちゃ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・が、名を知られ、売れッこになってからは、気振りにも出さず、事の一端に触れるのをさえ避けるようになった。苦心談、立志談は、往々にして、その反対の意味の、自己吹聴と、陰性の自讃、卑下高慢になるのに気附いたのである。談中――主なるものは、茸で、渠・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 三 海、また湖へ、信心の投網を颯と打って、水に光るもの、輝くものの、仏像、名剣を得たと言っても、売れない前には、その日一日の日当がどうなった、米は両につき三升、というのだから、かくのごとき杢若が番太郎小屋にただ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・と、主人が堅苦しい調子で、「世間へ、あの人の物と世間へ知れてしまっては、芸者が売れませんから、なア――また出来ないようなことがあっては、こちらが困るばかりで――」「そりゃア、もう、大丈夫ですよ」と、僕は軽く答えたが、あまりに人を見くびっ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・軽焼の売れ行は疱瘡痲疹の流行と終始していた。三 二代目喜兵衛の商才 二代目喜兵衛は頗る商才があった。軽焼が疱瘡痲疹の病人向きとして珍重されるので、疱瘡痲疹の呪いとなってる張子の赤い木兎や赤い達磨を一緒に売出した。店頭には四尺・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・相当に売れもし評判にもなったが半ばは合著の名を仮した春廼舎の声望に由るので、二葉亭としては余りありがたくもなかった。数ある批評のどれもが感服しないのはなかったが、ドレもこれも窮所を外れて自分の思う坪に陥ったのが一つもなかったのは褒められても・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・このお山にお宮がなかったら、蝋燭が売れない。私共は有がたいと思わなければなりません。そう思ったついでに、お山へ上ってお詣りをして来ます」と、言いました。「ほんとうに、お前の言うとおりだ。私も毎日、神様を有がたいと心でお礼を申さない日はな・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
出典:青空文庫