・・・芝生にちょんぼりと坐り、残りの競走は見送る肚を決めたのに、競走場へ現れた馬の中に脱糞をした馬がいるのを見つけると、あの糞の柔さはただごとでない、昂奮剤のせいだ、あの馬は今日はやるらしいと、慌てて馬券の売場へ駈け出して行く。三番片脚乗らんか、・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・やっと売れたが、この金使ってしまっては餓死か凍死だと、まず阪急の切符売場で宝塚行き九十銭の切符五枚買った。夕方四時半から六時半まで切符は売止めになる。その時刻をねらって、売場の前にずらりと並んだ客に、宝塚行き一枚三円々々と触れて歩くと、すぐ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・それでいざやろうという段になると、君が物置みたいな所から、切符売場のようになった小さい小舎を引張り出して来るんだ。そしてその中へ入って、据り込んで、切符を売る窓口から『さあここへ出せ』って言うんだ。滑稽な話だけど、なんだかその窓口へ立つのが・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・しかしことによると前日新宿の百貨店で造花の売り場の前を通ったときの無意識の印象が無意識な過程を通じてこれに関係しているのかもしれない。 法事の場面については心当たりがある。前夜の夕刊に青森県大鰐の婚礼の奇風を紹介した写真があって、それに・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・平田理学士は、先年、某停車場の切符売り場の窓口に立ち寄る人の数に関する統計的調査に普通の統計理論を応用して、それが相当よく当てはまる事を確かめた。最近に東京帝国大学地震学科学生某氏は市内二か所の街上における自動車の往復数に関する統計について・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・日本劇場の前まで来て見ると、さすがに今日はいつもの日曜とちがって切符売場の前にはわずかに数人の人影が見えるだけであったので急に思い付いて入場した。 二階の窓から狂風に吹き飛ぶ雲を眺めながら考えるともなく二十年前に見たベルリンのメトロポー・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・呉服売場や陳列棚の前で見るような恐ろしい険しい顔はあまりなくって、非常に人間らしい親しみのある顔が大部分を占めている。この食堂を発案したのはだれだか知らないが、その人はいろいろな意味でえらい人のように思われる。 食堂のほかには食品を販売・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・ 何番という番号のついた売り場に妻子をつれて買い物に来ている人が幾組もある。細君の品物を選り分ける顔つきや挙動や、それを黙って見ている主人の表情はさまざまである。いろいろな家庭の一面がここに反映している。いわゆる写実小説を見るよりはこの・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・大鷲神社の傍の田甫の白鷺が、一羽起ち二羽起ち三羽立つと、明日の酉の市の売場に新らしく掛けた小屋から二、三個の人が見われた。鉄漿溝は泡立ッたまま凍ッて、大音寺前の温泉の烟は風に狂いながら流れている。一声の汽笛が高く長く尻を引いて動き出した上野・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・目下いずこの停車場の新聞売場にも並べられている小新聞を見ると、拙劣鄙褻な挿絵とその表題とが、読者の目を牽くだけで買って読んで見ると案外つまらない事ばかりである。わたくしは時代の流行として、そういう時代にはそうした物が流行したという事を記憶し・・・ 永井荷風 「裸体談義」
出典:青空文庫