・・・すると向うの窓硝子は斑らに外気に曇った上に小さい風景を現していた。それは黄ばんだ松林の向うに海のある風景に違いなかった。僕は怯ず怯ず窓の前へ近づき、この風景を造っているものは実は庭の枯芝や池だったことを発見した。けれども僕の錯覚はいつか僕の・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・虻や蜂があんなにも溌剌と飛び廻っている外気のなかへも決して飛び立とうとはせず、なぜか病人である私を模ねている。しかしなんという「生きんとする意志」であろう! 彼らは日光のなかでは交尾することを忘れない。おそらく枯死からはそう遠くない彼らが!・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ たとえば、これもやはり私の洗面台の問題の一つであるが、前夜にたてた風呂の蒸気が室にこもっているところへ、夜間外気が冷えるのと戸外への輻射とのために、窓のガラスに一面に水滴を凝結させる。冬の酷寒には水滴の代わりに美しい羽毛状の氷の結晶模・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・廊下の壁や床や天井からなんべんとなく反射される間に波の形を変えて、元来は平凡な音があらゆる現実の手近な音とはちがった音色に変化し、そのためにあのような不可思議な感じを起こさせるのか、あるいは熱い蒸気が外気の寒冷と戦いながら、徐々にしかし確実・・・ 寺田寅彦 「病院の夜明けの物音」
・・・樽は、幾年ぶりかで穴ぐらから外気の中に運び出された。ほこりをかぶった樽の栓がぬかれた。樽はむせび鳴りながら自身のなかみをほとばしらせた。日光にきらめき、風にしぶきながら樽からほとばしる液体は、その樽の上に黒ペンキでおどかすようにかきつけられ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第七巻)」
・・・一人の人間の髪の毛をつかんで、ずっぷり水へ漬け、息絶えなんとすると、外気へ引きずり出して空気を吸わせ、いくらか生気をとりもどして動きだすと見るや、たちまち、また髪を掴んで水へもぐらせる、拷問そっくりの生活の思いをさせた。 一九三二年の春・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・午ごろ、お濠ばたを通りかかると一時間の休み時間を金のかからない外気の中で過そうとするあの辺の諸官庁会社の、主として若い連中が三々五五、芝草の堤にもたれたり、お濠の水を眺めたりしている。なかに、小型写真機を胸の前にもって、松の樹の下に佇んでい・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・然し、上林へ行ったことは、あれだけ外気の中で山を歩いたことは実にきき目があり、体にも気分にも大変のプラスでした。ちがった場所での生活の観察もよく、私は「上林からの手紙」というのと「山漆」というのと二つ随筆をかき、猶書きたい。これは小説を書く・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・きょうは朝のうち『文芸』の随筆をかいて送って、それから雪どけの外気を家一ぱいに流しこんで掃除をして、フロをわかして、すっかり独りでやったのでくたびれてしまった。屋根から雪がすべるひどい音が時々しました。もう今は夜も十一時すぎですが、不図ねる・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 私は、蟻の這い廻る老いた幹に頭を靠せ 牧人のように 外気に眼を瞑って 光を吸う。 耀や熱に 魂がとけ 軽々と情景に翔ぶ この思い。 カーテン 若き夫と妻。 明るい六月の電燈の下で チラチラ・・・ 宮本百合子 「心の飛沫」
出典:青空文庫