・・・私は朝からこんにゃく桶をかついで、いつものように屋敷の多い住宅地を売ってあるいていたが、あるお邸で、たいへんなしくじりをやってしまった。 そのお邸は石垣のうえにある高台の家で、十ばかりの石段をのぼらねばならぬ。石段をのぼると大きな黒い門・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣や竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わたされる。そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中には・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが臆劫になったり、解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知・・・ 夏目漱石 「イズムの功過」
・・・ 右のような訳で、高校時代には、活溌な愉快な思出の多いのに反し、大学時代には先生にも親しまれず、友人というものもできなかった。黙々として日々図書室に入り、独りで書を読み、独りで考えていた。大学では多くのものを学んだが、本当に自分が教えら・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・したがつてニイチェの善き理解者は、学者や思想家の側にすくなくして、いつも却つて詩人や文学者の側に多いのである。 近代の文学者の中で、ニイチェほど大きく、且つ多方面に影響をあたへたものはない。思想方面では、レーニンやトロツキイの共産主・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・然しだ、私は言い訳をするんじゃないが、世の中には迚も筆では書けないような不思議なことが、筆で書けることよりも、余っ程多いもんだ。たとえば、人間の一人々々が、誰にも云わず、書かずに、どの位多くの秘密な奇怪な出来事を、胸に抱いたまま、或は忘れた・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・このごろ、子供たちがよくカニとりに行き、何十匹もとって来てオカズ代りになることが多い。しかし、これはほとんど技術が入らず、釣りのうちに入るかどうかわからない。 そこへ行くと、イイダコの方はちょっと技術を要する。イイダコはあまり深くない砂・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・即ちこれを要するに、覚束ない英語でバイロンを味うよりは、ジュコーフスキーの訳を読む方が労少くして得る所が多いのである。 其処で自分は考えた、翻訳はこうせねば成功せまい、自分のやり方では、形に拘泥するの結果、筆力が形に縛られるから、読みづ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・俳句に富士山を入れると俗な句になりやすい、俳句に松の句もあるけれど松の句には俗なのが多くて、かえって冬木立の句に雅なのが多い、達磨なんかは俳句に入れると非常に厭味が出来る、これ位の事は前から知って居たのであるけれどそれを画の上に推し及ぼす事・・・ 正岡子規 「画」
・・・善と正義とのためならば命を棄てる人も多い。おまえたちはいままでにそう云う人たちの話を沢山きいて来た。決してこれを忘れてはいけない。人の正義を愛することは丁度鳥のうたわないでいられないと同じだ。セララバアド。お前は何か言いたいように見える。云・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
出典:青空文庫