・・・ニイチェほどに、矛盾を多分に有した複雑の思想家はなく、ニイチェほどに、残忍辛辣のメスをふるつて、人間心理の秘密を切りひらいた哲学者はない。ニイチェの深さは地獄に達し、ニイチェの高さは天に届く。いかなる人の自負心をもつてしても、十九世紀以来の・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・ 私はどこからか、その建物へ動力線が引き込まれてはいないかと、上を眺めた。多分死なない程度の電流をかけて置いて、ピクピクしてる生き胆を取るんだろう。でないと出来上った六神丸の効き目が尠いだろうから、だが、――私はその階段を昇りながら考え・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・しかも、河豚は二匹しか釣れず、その一匹を私がせしめたというわけである。多分、腕よりも偶然だったのであろう。エビのエサを使って、深い海底に、オモリのついた糸をおろした。底についたらしく手に感じたとき、すぐにグイグイと引っぱられ、あわてて引きあ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・薄絹が少し動いたようではあるが、何も見えない。多分風であっただろう。 オオビュルナンは口の内でつぶやいた。「これでは余り優待せられると云うものではないな。もうかれこれ二十分から待たせられている。どうしたと云うのだろう。事によったら馬鹿な・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・殊に荷物を皆持って上れという命令があったので多分放免になるのであろうと勇みに勇んで上陸した。湯に入って(自分は拭折詰の御馳走を喰うて、珍しく畳の上に寐て待って居ると午後三時頃に万歳万歳、という声が家を揺かして響いた。これは放免になった歓びの・・・ 正岡子規 「病」
・・・ 稀薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向うをさびしく渡った日輪がもう高原の西を劃る黒い尖々の山稜の向うに落ちて薄明が来たためにそんなに軋んでいたのだろうとおもいます。 私は魚のようにあえぎながら何べんもあたり・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・は、まだ多分に、この作者が幼時の環境からしみこまされていたアナーキスティックな爆発があった。しかし、少女時代の労働のために健康を失ったこの作者が、妻、母として、党員として東北の小さい町に負担の多い生活とたたかいながら一つ一つ作品を重ねて来て・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
・・・径二寸もあろうかと思われる、小さい急須の代赭色の膚に Pemphigus という水泡のような、大小種々の疣が出来ている。多分焼く時に出来損ねたのであろう。この蝦蟇出の急須に絹糸の切屑のように細かくよじれた、暗緑色の宇治茶を入れて、それに冷ま・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・顔形、それは老若の違いこそはあるが、ほとほと前の婦人と瓜二つで……ちと軽卒な判断だが、だからこの二人は多分母子だろう。 二人とも何やら浮かぬ顔色で今までの談話が途切れたような体であッたが、しばらくして老女はきッと思いついた体で傍の匕首を・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・未来派は心象のテンポに同時性を与える苦心に於て立体的な感覚を触発させ、従って立体派の要素を多分に含み、立体派は例えば川端康成氏の「短篇集」に於けるが如く、プロットの進行に時間観念を忘却させ、より自我の核心を把握して構成派的力学形式をとること・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫