・・・ 風呂がお好きで……もちろん、お嫌な方もたんとございますまいが、あの湯へ二度、お着きになって、すぐと、それに夜分に一度、お入りなすったのでございます――都合で、新館の建出しは見合わせておりますが、温泉ごのみに石で畳みました風呂は、自慢で・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・母は見るより人目も恥じず、慌てて乳房を含ませながら、「夜分のことでございますから、なにとぞ旦那様お慈悲でございます。大眼に御覧あそばして」 巡査は冷然として、「規則に夜昼はない。寝ちゃあいかん、軒下で」 おりからひとしきり荒・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・ ある真言寺の小僧が、夜分墓原を通りますと、樹と樹との間に白いものがかかって、ふらふらと動いていた。暗さは暗し、場所柄は場所柄なり、可恐さの余り歯の根も合わず顫え顫え呪文を唱えながら遁げ帰りましたそうでありますが、翌日見まするとそこに乾・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・元来この倶楽部は夜分人の集っていることは少ないので、ストーブの煙は平常も昼間ばかり立ちのぼっているのである。 然るに八時は先刻打っても人々は未だなかなか散じそうな様子も見えない。人力車が六台玄関の横に並んでいたが、車夫どもは皆な勝手の方・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 先生の中二階からはその屋根が少しばかりしか見えないが音はよく聞こえる水車、そこに幸ちゃんという息子がある、これも先生の厄介になッた一人で、卒業してから先生の宅へ夜分外史を習いに来たが今はよして水車の方を働いている、もっとも水車といって・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ 三日ばかり経って夜分村長は富岡老人を訪うた。機会を見に行ったのである。然るに座に校長細川あり、酒が出ていて老先生の気焔頗る凄まじかったので長居を為ずに帰って了った。 その後五日経って、村長は午後二時頃富岡老人を訪う積りでその門まで・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・船の運動は人の力ばかりでやるよりは、汐の力を利用した方が可い、だから夜分も随分船のゆききはある。筏などは昼に比較して却って夜の方が流すに便りが可いから、これも随分下りて来る。往復の船は舷灯の青色と赤色との位置で、往来が互に判るようにして漕い・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・どこへ出るにも馬丁をつけてやることにしていたんだ。夜分なども、碌々眠らないくらいにして、秋山大尉の様子に目を配っておった。「これがあるから監視するんだな。可しこんなものを焼捨てて了おう。」というんで、秋山大尉がその手紙を奥さんの目の前で・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・あるいは夜分に外出することあり、不意に旅行することあり。主人は客の如く、家は旅宿の如く、かつて家族団欒の楽しみを共にしたることなし。用向きの繁劇なるがために、三日父子の間に言葉を交えざるは珍しきことにあらず。たまたまその言を聞けば、遽に子供・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
出典:青空文庫