・・・ 日本の文壇というものは、一刀三拝式の心境小説的私小説の発達に数十年間の努力を集中して来たことによって、小説形式の退歩に大いなる貢献をし、近代小説の思想性から逆行することに於ては、見事な成功を収めた。 人間の努力というものは奇妙なも・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・我が愛する者のために死なんはいと大いなる幸福なり。よろこびてこそ死なめ! これはイタリアの恋愛詩人ダヌンチオの詩の一句である。畏きや時の帝を懸けつれば音のみし哭かゆ朝宵にして これは日本の万葉時代の女性、藤原夫人の恋のな・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・生は、ときとしては大いなる幸福ともなり、またときとしては大なる苦痛ともなるので、いかにも事大にちがいない。しかし、死がなんの事大であろう。人間の血肉の新陳代謝がまったくやすんで、形体・組織が分解しさるのみではないか。死の事大ということは、太・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・とにかく黄村先生は、ご自分で大いなる失敗を演じて、そうしてその失敗を私たちへの教訓の材料になさるお方のようでもある。 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・最も苦悩の大いなる場合、人は、だまって微笑んでいるものである。」虫の息。三十分ごとに有るか無しかの一呼吸をしているように思われた。蚊の泣き声。けれども痛苦はいよいよ劇しく、頭脳はかえって冴えわたり、気の遠くなるような前兆はそよともなかった。・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・帰途、夕日を浴びて、ながいながいひとりごとがはじまり、見事な、血したたるが如き紅葉の大いなる枝を肩にかついで、下腹部を殊更に前へつき出し、ぶらぶら歩いて、君、誰にも言っちゃいけないよ、藤村先生ね、あの人、背中一ぱいに三百円以上のお金をかけて・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・彼はこのように夢を駆逐することに喜びと同時に大いなる悲しみをいだいて死んで行ったであろう。 この頭の働きの領土の広さと自由な滑脱性とに関して芭蕉と対蹠的の位置にいたのはおそらく凡兆のごとき人であったろう。試みにやはり『灰汁桶』の巻につい・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち顔なる様にてそよとも動かぬ。ギニヴィアは幕の前に耳押し付けて一重向うに何事をか聴く。聴きおわりたる横顔をまた真向に反えして石段の下を鋭どき眼にて窺う。濃やかに斑を・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・自ら任ずる文芸家及び文学者諸君に取っては、定めて大いなる苦痛であろうと思われる。 諸君がもし、国家のためだから、この苦痛を甘んじても遣るといわれるなら、まことに敬服である。その代り何処が国家のためだか、明かに諸君の立脚地をわれらに誨えら・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
出典:青空文庫