・・・とっくに分別のできた大人が、今もなお熱心に――厚紙でサンドウィッチのように挾んだうえから一思いに切ってみたら? ――こんなことを考えているのである! ところが、最近、ふとしたことから、この空想の致命的な誤算が曝露してしまった。 元来、猫・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・その原因は肉体的快楽を知ることによって、あまりに大人となり、学窓の勉強などが子どもじみて見え、努力をつみ重ねて行く根気を失うところにあるのだ。努力をあまりつまずして具体的効果を得たいという、最もいとうべき考え方の傾向が必ずそれについで起こる・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・「大人、露西亜人にやられただ」 支那人の呉清輝は、部屋の入口の天鵞絨のカーテンのかげから罪を犯した常習犯のように下卑た顔を深沢にむけてのぞかした。深沢は、二人の支那人の肩のあいだにぶらさがって顔をしかめている田川を睨めつけた。「・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・を終って次が「上大人丘一巳」というものであったと覚えて居る。 弱い体は其頃でも丈夫にならなかったものと見えて、丁度「いろは」を卒える頃からででもあったろうか、何でも大層眼を患って、光を見るとまぶしくてならぬため毎日々々戸棚の中へ入って突・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・すると棒頭がその大人の背ほどもある土佐犬を源吉の方へむけた。犬はグウグウと腹の方でうなっていたが、四肢が見ているうちに、力がこもってゆくのが分った。「そらッ!」と言った。 棒頭が土佐犬を離した。 犬は歯をむきだして、前足をのばす・・・ 小林多喜二 「人を殺す犬」
・・・さものんきそうな兄さん達とちがって、彼女は自分を護らねばならなかった。大人の世界のことはすっかり分かってしまったとは言えないまでも、すくなくもそれを覗いて見た。その心から、袖子は言いあらわしがたい驚きをも誘われた。 袖子の母さんは、彼女・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・彼女があやし、叱り、機嫌などを取ってやると、喋る大人がしてやるより、遙か素直にききわけます。 スバーは小舎に入って来ると、サーツバシの首を抱きました。又、二匹の友達に頬ずりをします。パングリは、大きい親切そうな眼を向けて、スバーの顔をな・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・長女は、かれのぶっとふくれた不気嫌の顔を見かねて、ひとりでは大人になった気でいても、誰も大人と見ぬぞかなしき、という和歌を一首つくって末弟に与え、かれの在野遺賢の無聊をなぐさめてやった。顔が熊の子のようで、愛くるしいので、きょうだいたちが、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・それを学生のいうことでも馬鹿にしないで真面目に受け入れて、学問のためには赤子も大人も区別しない先生の態度に感激したりした。こういう本格的な研究仕事を手伝わされたことがどんなに仕合せであったかということを、本当に十分に估価し玩味するためにはそ・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・子供でない、大分大人になった。明治の初年に狂気のごとく駈足で来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先ずついて、二度の戦争に領土は広がる、新日本の統一ここに一段落を劃した・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫