・・・と言ったら、一間ばかりあとを雪駄を引きずりながら、大儀そうについて来た妻は、エヽと気のない返事をして無理に笑顔をこしらえる。この時始めて気がついたが、なるほど腹の帯の所が人並みよりだいぶ大きい。あるき方がよほど変だ。それでも当人は平気でくっ・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・そして如何にも疲れ切って大儀なからだを無理に元気を出して、捨鉢に歩いてでもいるような気がした。何だかいたいたしいような心地がした。黒の中折を冠った下から黒い髪の毛が両耳の上に少しかぶさっていたように思う。こんな記憶が今かなりはっきり浮んで来・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・しかしB教授はどういうものかなんとなしに元気がなく、また人に接するのをひどく大儀がるようなふうに見えた。 それから二三日たって、箱根のホテルからのB教授の手紙が来て、どこか東京でごく閑静な宿を世話してくれないかとのことであった。たしか、・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・その人がね、年を老って大儀なもんだから前をのぼって行く若い人のシャツのはじにね、一寸とりついたんだよ。するとその若い人が怒ってね、『引っ張るなったら、先刻たがらいで処さ来るづどいっつも引っ張らが。』と叫んだ。みんなどっと笑ったね。僕も笑・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ツェねずみが出て来て、さも大儀らしく言いました。「あああ、毎日ここまでやって来るのも、並みたいていのこっちゃない。それにごちそうといったら、せいぜい魚の頭だ。いやになっちまう。しかしまあ、せっかく来たんだからしかたない。食ってやるとしよ・・・ 宮沢賢治 「ツェねずみ」
・・・豚は仕方なく歩き出したが、あんまり肥ってしまったので、もううごくことの大儀なこと、三足で息がはあはあした。 そこへ鞭がピシッと来た。豚はまるで潰れそうになり、それでもようよう畜舎の外まで出たら、そこに大きな木の鉢に湯が入ったのが置いてあ・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・ まさ子は、大儀そうに小さい声で、「ああ、ああ」と云い、先ず肱をおろし、肩をつけ、横たわった。 千世子が下で、疲れるんだって、と云った時、微妙な一種の表情があったので、なほ子は、屡々ある不眠の結果だろうと思っていた。まさ子は・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・「――マルと話して居るのよ、ねマルや、お前を入れておきたいのは山々なれどもね、さマルや、大儀かえ? 大儀なら小屋へ行っておね」 聞いて居る自分、うるさくなりむっとした心持になる。 アンマの木村 六十九歳、・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 飯田の奥さんは大儀そうな風で、黒いレースの肩掛けを脱した。「この間じゅうはだんだんどうもお世話様でした。私もちょくちょく来たいとは思っても何しろ遠いもんですからね」 茶など勧めたが、飯田の奥さんの顔色がただでなく石川に見えた。・・・ 宮本百合子 「牡丹」
・・・ 男鴨はもうどうしていいか分らないほどイライラした気持になった。大儀そうに体をうごかしてあてどもなく歩き廻った。そして何の気もなしに三人目の女房がひやっこくなって居た茗荷畑の前に行った。「…………」 男鴨は息をつめて立ちどまった・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫