・・・を勘定すれば百部二百部ではきかぬのでありますが、その中で髄脳であり延髄であり脊髄であるところの著述は、皆当時の実社会に対して直接な関係は有して居りませぬので、皆異なった時代――足利時代とか鎌倉時代とか大内氏頃とか、最も近くても数十年前の時代・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・山名氏清が泉州守護職となり、泉府と称して此処に拠った後、応永の頃には大内義弘が幕府から此地を賜わった。大内は西国の大大名で有った上、四国中国九州諸方から京洛への要衝の地であったから、政治上交通上経済上に大発達を遂げて愈々殷賑を加えた。大内は・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・さきに行くのは大内だ。大内は夏服の上に黄色な実習服を着て結びを腰にさげてずんずん藪をこいで行く。よくこいで行く。急にけわしい段がある。木につかまれ木は光る。雑木は二本雑木が光る。「じゃ木さば保ご附くこなしだじゃぃ。」誰かがうしろで叫・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・これは大内平太とて元は北畠の手の者じゃ。秩父刀禰とはかねてより陣中でしたしゅうした甲斐に、申し残されたことがあって……」「申し残された」の一言が母の胸には釘であった。「おおいかに新田の君は愛でとう鎌倉に入りなされたか」「まだ、さ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫