・・・子供でない、大分大人になった。明治の初年に狂気のごとく駈足で来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先ずついて、二度の戦争に領土は広がる、新日本の統一ここに一段落を劃した・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・――榛の木畑の方も大分伸びたろう。土堤下の菜種畑だって、はやくウネをたかくしとかなきゃ霜でやられる――善ニョムさんは、小作の田圃や畑の一つ一つを自分の眼の前にならべた。たった二日か三日しか畑も田圃も見ないのだが、何だか三年も吾子に逢わないよ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 流の幅は大分ひろく、田舟の朽ちたまま浮んでいるのも二、三艘に及んでいる。一際こんもりと生茂った林の間から寺の大きな屋根と納骨堂らしい二層の塔が聳えている。水のながれはやがて西東に走る一条の道路に出てここに再び橋がかけられている。道の両・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
一 太十は死んだ。 彼は「北のおっつあん」といわれて居た。それは彼の家が村の北端にあるからである。門口が割合に長くて両方から竹藪が掩いかぶって居る。竹藪は乱伐の為めに大分荒廃して居るが、それでも庭からそこらを陰鬱にして居る。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・今日は死ぬか生きるかの問題は大分超越している。それが変化してむしろ生きるか生きるかと云う競争になってしまったのであります。生きるか生きるかと云うのはおかしゅうございますが、Aの状態で生きるかBの状態で生きるかの問題に腐心しなければならないと・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・小立野の高台から見はらす北国の青白い空には変りはないが、何十年昔のこととて、街は大分変っているように思われた。ユンケル氏はその後一高の方へ転任せられ、もう大分前に故人となられた。エスさんも、その後何処に行かれたか。その頃私より少し年上であっ・・・ 西田幾多郎 「アブセンス・オブ・マインド」
・・・ 私は半月余り前、フランテンの欧洲航路を終えて帰った許りの所だった。船は、ドックに入っていた。 私は大分飲んでいた。時は蒸し暑くて、埃っぽい七月下旬の夕方、そうだ一九一二年頃だったと覚えている。読者よ! 予審調書じゃないんだから、余・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・「戯言は戯言だが、さッきから大分紛雑てるじゃアないか。あんまり疳癪を発さないがいいよ」「だッて。ね、そら……」と、吉里は眼に物を言わせ、「だもの、ちッたあ疳癪も発りまさアね」「そうかい。来てるのかい、富沢町が」と、西宮は小声に言・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・それで、実業家と成ろうと大分焦った。が併し私の露語を離れ離れにしては実業に入れぬから、露国貿易と云うような所から段々入ろうと思った。そして国際的関係に首を突込んで、志士肌と商売肌を混ぜてそれにまた道徳的のことも加えたり何かして見ると、かのセ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ほんに君と僕とは大分長い間友人と呼び合ったのだ。ははあ、何が友人だ。君が僕と共にしたのは、夜昼とない無意味の対話、同じ人との交際、一人の女を相手にしての偽りの恋に過ぎぬ。共にしたとはいうけれど、譬えば一家の主僕がその家を、輿を、犬を、三度の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫