・・・就中疱瘡は津々浦々まで種痘が行われる今日では到底想像しかねるほど猛列に流行し、大名高家は魯か将軍家の大奥までをも犯した。然るにこの病気はいずれも食戒が厳しく、間食は絶対に禁じられたが、今ならカルケットやウェーファーに比すべき軽焼だけが無害と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ くつろいだ様子をして絵巻物を見て居た光君は、はばかるようにおもはゆげに誰にともなく云うと、わきに居た髪の美くしい年まがうけとって、「エエ、そうでございます、大奥様の御妹子の御子で御両親に御分れなさってからこちらに御出になって居るん・・・ 宮本百合子 「錦木」
・・・稗史の中でも徳川の大奥というものは伏魔殿とされた。沢山の隠れた罪悪と御殿女中の不自然な生活から来る破廉恥な行為とは、画家英一蝶に一枚の諷刺画を描かせ、彼はそのために遠島の刑にあった。徳川時代の婦人達はやはり権謀術数の手段として、人間の女性と・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫