姓氏の一。
おおやまいくお【大山郁夫】
[1880〜1955]社会運動家。兵庫の生まれ。大正7年(1918)吉野作造らの黎明会 (れいめいかい) に参加。翌年、長谷川如是閑らと「我等」を創刊。無産運動を指導、労働農民党委員長となる。第二次大戦中は米国に亡命、戦後帰国、平和運動に専念。
おおやまいわお【大山巌】
[1842〜1916]元帥・陸軍大将。鹿児島の生まれ。西郷隆盛の従弟。陸相・参謀総長を務め、日露戦争では満州軍総司令官。
おおやまもうで【大山詣で】
大山の阿夫利 (あふり) 神社に、白衣姿で参詣 (さんけい) すること。6月にするものを初山、7月にするものを盆山という。石尊 (せきそん) 詣で。大山参り。《季 夏》
出典:gooニュース
阪神・大山 魚雷バットで決勝V打!セ界トップタイの4度目勝利打点 通算1000試合出場“前祝い”だ
NPBでも公式戦で使用可能になった11日には、大山も試合前練習で試打を敢行。その後、担当者との打ち合わせを重ねた上で、試合での使用に踏み切ったもようだ。魚雷バットを使用しての安打は、12球団初とみられる。そんな一撃で、決勝点を叩き出した。 ここまで通算9打点ながら、かねて「大事にしている。
阪神・大山 魚雷バットで初回先制打 実戦ではチーム初使用 “完全大山仕様”グリップも重さも普段使うバットと同じに
11日の公式戦から使用可能となっており、大山は森下や佐藤輝らと同日にサンプルを試打していた。 この日の魚雷バットは“完全大山仕様”。本人は使用について笑みを浮かべながら無言を貫いたが、ミズノ社によると「試したい」という主砲の要望に応え、グリップも重さも普段使うバットと同じにしたものを作製した。試合前練習で渡され、そのまま使用。打撃練習の際には柵越えする場面もあった。
【阪神】大山悠輔が今季4度目V打、巨人岡本と並びリーグトップ 5連勝中には3度目
▼阪神大山が1回に先制打を放ち、これが決勝打。22試合で早くも4度目のV打となった。V打4度は巨人岡本と並んでリーグトップ。阪神の5連勝中、大山は3度V打を記録している。
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出典:青空文庫
・・・、甲斐と駿河の境さ、大山荒れがはじまったが、ごんごんごうごう暗や・・・ 伊藤左千夫「河口湖」
・・・を示せば、重厚沈毅な大山将軍ですらが丁髷の鬘に裃を着けて踊り出す・・・ 内田魯庵「四十年前」
・・・第一回の普選に大山さんが立候補した。その時、強力だった農民組合が・・・ 黒島伝治「鍬と鎌の五月」