・・・われ、なんじの影地震の夜の間に消え失せぬと聞き、かの時の挙動など思い合わして大方は推しいたれどかく相見ては今さらのようにうれし。 かつて酒量少なく言葉少なかりし十蔵は海と空との世界に呼吸する一年余りにてよく飲みよく語り高く笑い拳もて卓を・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ ハッパが爆発したあと、彼等は、煙が大方出てしまうまで一時間ほど、ほかで待たなければならない。九番坑の途中に、斜坑が上に這い上って七百尺の横坑に通じている。彼は、突き出た岩で頭を打たないように用心しながら、その斜坑を這い上った。はげしい・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・……大方眠りつこうとしていると、不意に土間の隅に設けてある鶏舎のミノルカがコツコツコと騒ぎだした。「おどれが、鶏をねらいよるんじゃ。」おしかは寝衣のまま起きてマッチをすった。「壁が落ちたんを直さんせにどうならん!」 二・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・それもいいけれど、片道一里もあるところをたった二合ずつ買いに遣されて、そして気むずかしい日にあ、こんなに量りが悪いはずはねえ、大方途中で飲んだろう、道理で顔が赤いようだなんて無理を云って打撲るんだもの、ほんとに口措くってなりやしない。」・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・我野、川越、熊谷、深谷、本庄、新町以上合せて六路の中、熊谷よりする路こそ大方は荒川に沿いたれば、我らが住家のほとりを流るる川の水上と思うにつけて興も多かるべけれと択び定め来しが、今この岐路にしるべの碑のいと大きなるが立てられたるを見ては、あ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 時代錯誤な議事堂の建物も、大方出来ていた。俺だちはその尖塔を窓から覗きあげた。頂きの近いところに、少し残っている足場が青い澄んだ冬の空に、輪郭をハッキリ見せていた。「君、あれが君たちの懐しの警視庁だぜ。」 と看守がニヤ/\笑っ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・のの其角曰くまがれるを曲げてまがらぬ柳に受けるもやや古なれどどうも言われぬ取廻しに俊雄は成仏延引し父が奥殿深く秘めおいたる虎の子をぽつりぽつり背負って出て皆この真葛原下這いありくのら猫の児へ割歩を打ち大方出来たらしい噂の土地に立ったを小春お・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・俺も馬鹿な――大方、気の迷いだらずが――昨日は恐ろしいものが俺の方へ責めて来るぢゃないかよ。汽車に乗ると、そいつが俺に随いて来て、ここの蜂谷さんの家の垣根の隅にまで隠れて俺の方を狙ってる。さあ、責めるなら責めて来いッって、俺も堪らんから火の・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ぱいで動きがとれなくなり、仕方なしに荷をほうり出す、むりにせおってつきぬけようとした人も、その背中の荷物へ火の子がとんでもえついたりするので、つまりは同じく空手のまま、やっとくぐりぬけて来たというのが大方です。気のどくなのは、手近の小さな広・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・この比よりの手だて、大方かはるべし。たとひ、天下にゆるされ、能に得法したりとも、それにつけても、よき脇のしてを持つべし。能はさがらねども、ちからなく、やうやう年闌けゆけば、身の花も、よそ目の花も失するなり。先すぐれたるびなんは知らず、よき程・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫