・・・ゆりならずや幸助をいかにせしぞ、わが眠りし間に幸助いずれにか逃げ亡せたり、来たれ来たれ来たれともに捜せよ、見よ幸助は芥溜のなかより大根の切片掘りだすぞと大声あげて泣けば、後ろより我子よというは母なり。母は舞台見ずやと指さしたまう。舞台には蝋・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・稲が刈り取られて林の影が倒さに田面に映るころとなると、大根畑の盛りで、大根がそろそろ抜かれて、あちらこちらの水溜めまたは小さな流れのほとりで洗われるようになると、野は麦の新芽で青々となってくる。あるいは麦畑の一端、野原のままで残り、尾花野菊・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・晩には夜なべに、大根を切ったり、屑芋をきざんだりする。このあいだ、昼間があまり忙しいので、夜なべに蕎麦をこなしたのだと母は話している。 祖父も百姓だった。その祖父も、その前の祖父も百姓だったらしい。その間、時には、田畑を売ったこともあり・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・最早山の上でもすっかり雪が溶けて、春らしい温暖な日の光が青い苔の生えた草屋根や、毎年大根を掛けて干す土壁のところに映っていた。 丁度、お島は手拭で髪を包んで、入口の庭の日あたりの好いところで余念なく張物をしていた。彼女の友達がそこへ来た・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「あの、今日は午過ぎから、みんなで大根を引きに行ったんですの」「どの畠へ出てるんですか。――私ちょっと行ってみましょう」「いいえ、もうただ今お長をやりましたから大騒ぎをして帰っていらっしゃいますわ」「さっき私は誰もいないのだ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目な顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであっ・・・ 太宰治 「食通」
・・・まあ、大根の二、三本くらいはあげますよ」だんだん話が小さくなって来た。「酒も無い、何も無い。だから、こうして飲みに来たんだ。鴨一羽、そのうち、とったら進呈するがね、しかし、それには条件がある。その鴨を、俺と修治と奥さんと三人で食って、その時・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・八百屋などが来ると自分で台所へ出かけてやかましく値切り小切りをする。大根を歯で喰い欠いてみてこれはいけないと云って突返したりする。煮焚きの事でも細君にはやらせないで独りで台所で何かガチャつかせながらやっていた。 花を尋ねたり、墓を訪うた・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・少なくも仮りに私が机の上で例えば大根の栽培法に関する書物を五、六冊も読んで来客に講釈するか、あるいは神田へ行って労働問題に関する書物を十冊も買い込んで来て、それについて論文でも書くとすればどうだろう。つまりはヘレン・ケラーが雪景色を描き、秋・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・そうしないと、おしまいには米や大根を地下室の棚で作らなければならない事になるかもしれない。 ベルリンの郊外でまだ家のちっとも建たない原野に、道路だけが立派にみがいたアスファルト張りにできあがって、美術的なランプ柱が行列しているのを、少し・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫