・・・ 後へ引けないことになって結婚、大森にいい家が出来、百五十円ずつ仕送りして、大学か何かへ行って居るんですが、一向それで満足もして居ないんですな、 一つ心配なことがある、 何だ もうじき試験になるんだが、それだけはどうしても通・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・ 八日、基ちゃんと、青山にかえる途中、乃木坂行電車の近くで、大森の基ちゃんの友人に会い、実際鮮人が、短銃抜刀で、私人の家に乱入した事実を、自分の経験上はなされた。 つかまった鮮人のケンギの者にイロハニを云わせて見るのだそうだ。そして・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ と落ちる雨だれの音を五月蠅く思いながら久しく手紙を出さなかった大森の親しい友達の処へ手紙を書き初めた。 珍らしく巻紙へ細い字で書き続けた。 蝶が大変少ない処だとか。 魚の不愉快な臭いがどこかしらんただよって居る。とか云って・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・宮本百合子 一九四三年九月八日〔大森区新井宿一ノ二三四五 高根包子宛 本郷区林町二一より〕 先日は山からのおたよりありがたく頂きました。お忙しくてもいつも御元気で本当に何よりとおよろこび申しあげます。 わたくしも五ヵ・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・その頃非合法におかれていた共産党の中央委員のなかに、大泉兼蔵、小畑某というスパイをいれ、大森のギャング事件、川崎の暴力メーデーと、大衆から人民の党を嫌わせるような事件を挑発させたのも、安倍源基とその一味でした。スパイは、日本全国の党組織に入・・・ 宮本百合子 「ファシズムは生きている」
・・・不二子に限らず、女と生活している間、彼は暮しに追われて、大森までも遊山に出かける余裕がなかった。生活費の心配がなければ、藍子が見晴し亭で会ったいねのように、ただ彼女に会い可愛がる為ばかりにでも、彼は金を使わなければならない。まして、不二子は・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 私は大正四年の夏の初めに、大森から鵠沼へ居を移した。そのころにちょうど東京横浜間は電化されたが、鵠沼から東京へ出るには汽車のほかはなく、それも二時間近くかかったと思う。木曜日の晩に漱石山房で話にふけっていれば、終列車に乗り遅れるおそれ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫