おおえけんざぶろう【大江健三郎】
[1935〜2023]小説家。愛媛の生まれ。東大在学中に「飼育」で芥川賞受賞。新しい文学の旗手として認められる。豊かな想像力と独特の文体による、現代に深く根ざした作品を発表。平成6年(1994)ノーベル文学賞受賞。小説「個人的な体験」「万延元年のフットボール」のほか、ルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」など。
おおえたく【大江卓】
[1847〜1921]政治家・実業家。土佐の人。神奈川県権令としてペルーの奴隷船から清国人を解放。1877年西南戦争に呼応して挙兵したが失敗し、翌年入獄。立憲自由党創立に参加したが、のち実業界に転じた。
おおえのあさつな【大江朝綱】
[886〜958]平安中期の学者。音人 (おとんど) の孫。文章博士 (もんじょうはかせ) 。参議。祖父音人を江相公と称するのに対し、後江相公という。著「後江相公集」。
おおえのおとんど【大江音人】
[811〜877]平安前期の学者。儒家としての大江家の基礎を築いた。師の菅原是善らと「貞観格式」を編纂 (へんさん) 。「弘帝範」「群籍要覧」を撰進 (せんしん) 。家集「江音人集」。江相公。
おおえのちさと【大江千里】
平安前期の歌人。音人 (おとんど) の子。兵部大丞 (ひょうぶだいじょう) 。中古三十六歌仙の一人。宇多天皇の命により「句題和歌(大江千里集)」を撰進。生没年未詳。
おおえのひろもと【大江広元】
[1148〜1225]鎌倉前期の幕府の重臣。匡房 (まさふさ) の曽孫。源頼朝に招かれて公文所 (くもんじょ) 別当となり、幕府政治の重要問題に関与。守護・地頭設置を献策。のち政所 (まんどころ) 別当。頼朝の死後は北条氏に協力。
おおえのまさひら【大江匡衡】
[952〜1012]平安中期の学者・歌人。文章博士 (もんじょうはかせ) となり、一条天皇の侍読 (じとう) として仕えた。妻は赤染衛門 (あかぞめえもん) 。歌集に「大江匡衡朝臣集」、詩集に「江吏部集 (ごうりぶしゅう) 」など。
おおえのまさふさ【大江匡房】
[1041〜1111]平安後期の学者・歌人。匡衡 (まさひら) の曽孫。博学で有職故実に詳しく、後三条・白河・堀河天皇の侍読 (じとう) をつとめた。著「江家次第 (ごうけしだい) 」、日記「江記」、説話集「江談抄」など。