・・・しかも僕の前後にいるのは大磯かどこかへ遠足に行ったらしい小学校の女生徒ばかりだった。僕は巻煙草に火をつけながら、こう云う女生徒の群れを眺めていた。彼等はいずれも快活だった。のみならず殆どしゃべり続けだった。「写真屋さん、ラヴ・シインって・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・かの君、大磯に一泊して明日は鎌倉まで引っ返しかしこにて両三日遊びたき願いに候えど――。われ、そは御楽しみの事なるべし、大磯鎌倉は始めてのお越しにや。かの君さりげなく、妹には始めての遊びになん。ああこの時、わが目と二郎の目とは電のごとく貴嬢が・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・さきの日国府津にて宿を拒まれようやくにして捜し当てたる町外れの宿に二階の絃歌を騒がしがりし夕、夕陽の中に富士足柄を望みし折の嬉しさなど思い出してはあの家こそなど見廻すうちにこゝも後になり、大磯にてはまた乗客増す。海水浴がえりの女の群の一様に・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・漸次之ニ序グ者、則チ曰ク大磯屋、曰ク勝松葉、曰ク湊屋、曰ク林屋、曰ク新常磐屋、曰ク吉野屋、曰ク伊住屋、曰ク武蔵屋、曰ク新丸屋、曰ク吉田屋等極メテ美ナリ。自余或ハ小店ト称シ、或ハ五軒ト号ケ、或ハ局ト呼ブ者ノ若キハ曾テ算フルニ遑アラズ。且又茶屋・・・ 永井荷風 「上野」
・・・、東都の仮住居を見すてしよりここに十日、身は今旅の旅に在りながら風雲の念いなお已み難く頻りに道祖神にさわがされて霖雨の晴間をうかがい草鞋よ脚半よと身をつくろいつつ一個の袱包を浮世のかたみに担うて飄然と大磯の客舎を出でたる後は天下は股の下杖一・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 明治三十二年というと中島湘煙の死ぬ二年前のことだが、その頃青柳有美が大磯の病床に彼女を訪問したときの湘煙の談話は、彼女の女性観をまざまざと示している。 有美はその時分女への悪口で攻撃されていたらしい。湘煙はいくらか同情気味で「私は・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・ 品川の伯父さんは、良人が留守な姪の子たちを丈夫にしてやろうと、大磯の妙大寺という寺の座敷を一夏借りて、皿小鉢のようなものまで準備された。 西村の祖母、母、子供三人の同勢はそこへ出かけて、子供らは、生れてはじめて海岸の巖の間で波と遊・・・ 宮本百合子 「白藤」
・・・「同志の人々」「海彦山彦」等。 一九二四年。震災で演劇雑誌が全滅したので、劇作家協会が主体となり、新潮社から『演劇新潮』を発行。推されて一年間その編輯主任となる。「熊谷蓮生坊」「大磯がよい」「女中の病気」「スサノヲの命」。 一九二五・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・彼は夏休以前から病気で、恢復期に向った為め、小田原か大磯、或は鎌倉に行っていたかもしれない。其等の地方は、この号外によれば津波で洗われ、村落の影さえ認め得ない程になっているらしいのだ。けれども、是も、理性に訴えて考えて見た結果として感じる心・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫