・・・池の周囲はおどろおどろと蘆の葉が大童で、真中所、河童の皿にぴちゃぴちゃと水を溜めて、其処を、干潟に取り残された小魚の泳ぐのが不断であるから、村の小児が袖を結って水悪戯に掻き廻す。……やどかりも、うようよいる。が、真夏などは暫時の汐の絶間にも・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・……以来、打続いた風ッ吹きで、銀杏の梢も大童に乱れて蓬々しかった、その今夜は、霞に夕化粧で薄あかりにすらりと立つ。 堂とは一町ばかり間をおいた、この樹の許から、桜草、菫、山吹、植木屋の路を開き初めて、長閑に春めく蝶々簪、娘たちの宵出の姿・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・訳者、鴎外も、ここでは大童で、その訳文、弓のつるのように、ピンと張って見事であります。そうして、訳文の末に訳者としての解説を附して在りますが、曰く、「地震の一篇は尺幅の間に無限の煙波を収めたる千古の傑作なり。」 けれども、私は、いま、他・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・今日は十五日締切の小説で大童になっているところ。新ロマン派の君の小説が深沼氏の推讃するところとなって、君が発奮する気になったとは二重のよろこびである。自信さえあれば、万事はそれでうまく行く。文壇も社会も、みんな自信だけの問題だと、小生痛感し・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ お母さん、誰かの縁談のために大童、朝早くからお出掛け。私の小さい時からお母さんは、人のために尽すので、なれっこだけれど、本当に驚くほど、始終うごいているお母さんだ。感心する。お父さんが、あまりにも勉強ばかりしていたから、お母さんは、お・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ストリンドベリイなども、ときどき熱演のあまり鬘を落して、それでも平気で大童である。 女が描けていない、ということは、何も、その作品の決定的な不名誉ではない。女を描けないのではなくて、女を描かないのである。そこに理想主義の獅子奮迅が在る。・・・ 太宰治 「女人創造」
・・・ちらほら人が立ちどまって見る、にやにや笑って行くものがある、向うの樫の木の下に乳母さんが小供をつれてロハ台に腰をかけてさっきからしきりに感服して見ている、何を感服しているのか分らない、おおかた流汗淋漓大童となって自転車と奮闘しつつある健気な・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・芸術的効果をそこまで持って行くために、ソヴェト同盟のプロレタリア芸術家たちは大童だ。 ところで、問題は展開する。 この帝国主義の侵略の危機、及びファッシズムとの闘争は、果してソヴェト同盟の大衆、彼等の文化の前衛としてのプロレタリア芸・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・何故ならば配給とか、闇買いとか、生きるために大童になっているからです。もう少し食糧問題を解決し住宅問題を解決すれば、女も男も時間ができます。時間に余裕ができれば本を読むことも考えることもできます。そういう風にして日本が民主化するということは・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・するとその座に三郎様がおられて、そんなら垣衣を大童にして山へやれとおっしゃった。大夫様は、よい思いつきじゃとお笑いなされた。そこでわしはお前さんの髪をもろうて往かねばならぬ」 そばで聞いている厨子王は、この詞を胸を刺されるような思いをし・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫