・・・どれも、おなじくらいな空を通るんだがね、計り知られないその大群は、層を厚く、密度を濃かにしたのじゃなくって、薄く透通る。その一つ一つの薄い羽のようにさ。 何の事はない、見た処、東京の低い空を、淡紅一面の紗を張って、銀の霞に包んだようだ。・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをし・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・と寝そべり、あるいは疾駆し、あるいは牙を光らせて吠えたて、ちょっとした空地でもあるとかならずそこは野犬の巣のごとく、組んずほぐれつ格闘の稽古にふけり、夜など無人の街路を風のごとく、野盗のごとくぞろぞろ大群をなして縦横に駈け廻っている。甲府の・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・と極度の疲労のため精神朦朧となり、君子の道を学んだ者にも似合わず、しきりに世を呪い、わが身の不幸を嘆いて、薄目をあいて空飛ぶ烏の大群を見上げ、「からすには、貧富が無くて、仕合せだなあ。」と小声で言って、眼を閉じた。 この湖畔の呉王廟は、・・・ 太宰治 「竹青」
・・・去年のような大群はもう来ないらしい。ことしはあひるのコロニーが優勢になって鶺鴒の領域を侵略してしまったのではないかと思われる。同じような現象がたとえば軽井沢のような土地に週期的にやって来る渡り鳥のような避暑客の人間の種類についても見られるか・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・それからの後の場面で荒涼たる大雪原を渡ってくるトナカイの大群の実写は、あれは実に驚くべき傑作である。理屈なし説明なしに端的にすべての人の心を奪う種類のフィルムであり、活動映画というものの独自な領域を鮮明に主張したものである。絵ではもちろんの・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・それから後、象の大群が見られるというので「チャング」を見、アフリカの大自然があるというので「ザンバ」を見た。そのうちにトーキーが始まるというので後学のために出かける。そうしているうちにいつのまにか一通りの新米ファンになりおおせたようである。・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・これらの樹の実を尋ねて飛んで来る木椋鳥の大群も愉快な見物であった。「千羽に一羽の毒がある」と云ってこの鳥の捕獲を誡めた野中兼山の機智の話を想い出す。 公園の御桜山に大きな槙の樹があってその実を拾いに行ったこともあった。緑色の楕円形をした・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・愚かなるわれら杞人の後裔から見れば、ひそかに垣根の外に忍び寄る虎や獅子の大群を忘れて油虫やねずみを追い駆け回し、はたきやすりこ木を振り回して空騒ぎをやっているような気がするかもしれない。これが杞人の憂いである。・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
出典:青空文庫