・・・メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 大蛇が豚を一匹丸のみにして寝ている。「満腹」という言語では不十分である。三百パーセントか四百パーセントの満腹である。からだの直径がどう見ても三四倍になっている。他の動物の組織でこんなに伸長されてそれで破裂しないものがあろうとはちょっと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
映画「マルガ」の中でいちばんおもしろいと思ったのは猛獣大蛇などの闘争の場面である。 闘争を仕組んだのは人間であろうが、闘争者のほうではほんとうに真剣な生命をかけた闘争をして見せるのであるから、おもしろくないわけには行か・・・ 寺田寅彦 「映画「マルガ」に現われた動物の闘争」
・・・灰吹から大蛇を出すくらいはなんでもないことであるが、大蛇は出てもあまり役に立たない。しかし鉱山の煙突から採れる銅やビスマスや黄金は役に立つのである。 尤も喫煙家の製造する煙草の煙はただ空中に散らばるだけで大概あまり役には立たないようであ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・横になって壁を踏んでいると眼瞼が重くなって灰吹から大蛇が出た。 十六日 涼しいさえさえした朝だ。まだ光の弱い太陽を見詰めたが金の鴉も黒点も見えない。坩堝の底に熔けた白金のような色をしてそして蜻とんぼの眼のようにクルクルと廻るように見える・・・ 寺田寅彦 「窮理日記」
・・・そうしてさらにのぞきや大蛇の見世物を思い出すことが出来る。 三谷の渓間へ虎杖取りに行ったこともあった。薄暗い湿っぽい朽葉の匂のする茂みの奥に大きな虎杖を見付けて折取るときの喜びは都会の児等の夢にも知らない、田園の自然児にのみ許された幸福・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・朝はこの椎茸が恐ろしく長くて、露にしめった道傍の草の上を大蛇のようにうねって行く。どうかするとこの影が小川へ飛込んで見えなくなったと思うと、不意に向うの岸の野菊の中から頭を出す。出すかと思うと一飛びに土堤を飛越えてまた芒の上をチラリ/\して・・・ 寺田寅彦 「車」
・・・ 八頭の大蛇を「ヤマタノオロチ」という。この「マタ」が頭を意味するとすると、これはベンガリ語の mthやグジャラチの mthoonやヒンドスタニ語の mund に縁がある。これが子音転換すれば「タマ」になる。 髑髏を「されかうべ」と・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・しかし、逆にまた、今の近代嬢の髪を切りつめ眉毛を描き立て、コティーの色おしろいを顔に塗り、キューテックの染料で爪を染め、きつね一匹をまるごと首に巻きつけ、大蛇の皮の靴を爪立ってはき歩く姿を昔の女の眼前に出現させたらどうであったか。やはり相当・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ 高志の八俣の大蛇の話も火山からふき出す熔岩流の光景を連想させるものである。「年ごとに来て喫うなる」というのは、噴火の間歇性を暗示する。「それが目は酸漿なして」とあるのは、熔岩流の末端の裂罅から内部の灼熱部が隠見する状況の記述にふさわし・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
出典:青空文庫