・・・幻は暫く漂っていた後、大風の吹き渡る音と一しょに忽ち又空中へ消えてしまった。そのあとには唯かがやかしい、銀の鎖に似た雲が一列、斜めにたなびいているだけだった。 ソロモンは幻の消えた後もじっと露台に佇んでいた。幻の意味は明かだった。たとい・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・大風来い、大風来い。 小風は、可厭、可厭…… 幼い同士が威勢よく唄う中に、杢若はただ一人、寒そうな懐手、糸巻を懐中に差込んだまま、この唄にはむずむずと襟を摺って、頭を掉って、そして面打って舞う己が凧に、合点合点をして・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・十年ばかりまえに沖へ出て、大風のために遠くへ流されたものだ。」と、その中のいちばん背の高い男がいいました。 人々は、十年ばかり前にあった大暴風雨の夜のことを記憶から呼び起こしました。そして、三人のものがいまだに行方不明であることを思い出・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・けれど、大風が吹いたときは、急がしく駈け出さなければならない。これもやはりおじいさんには向きませんでした。 仏さまは、お困りになりました。そして考えぬいたすえに、ついにおじいさんを、つぎのようなものとしてしまわれたのであります。 は・・・ 小川未明 「ものぐさじじいの来世」
・・・あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上にたおれ、大風洪水が鎌倉地方に起こって人畜を損じ、奥州には隕石が雨のごとく落ち、美濃には盛夏に大雪降り、あるいは鎌倉の殿中に怪鳥集まるといった状況であった。日蓮は世相のただならぬことを感じた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ここの細君は今はもう暗雲を一掃されてしまって、そこは女だ、ただもう喜びと安心とを心配の代りに得て、大風の吹いた後の心持で、主客の間の茶盆の位置をちょっと直しながら、軽く頭を下げて、「イエもう、業の上の工夫に惚げていたと解りますれば何のこ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・と言うが早いか、何千人という大人数が、一どに馬にとびのって、大風のように、びゅうびゅうかけだしました。 王子たちは王女の手を引いて、遠くまでにげて来ました。するとやがて後の方で、ぽか/\/\と大そうなひづめの音が聞え出しました。王子は走・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・ その時ひびきを立てて、海から大風が来て森の中をふきぬけました。この大きな神風にあっては森の中の木という木はみななびき伏しました。その中で一本のわかい松も幹をたわめて、寄るべないこのおかあさんの耳に木のこずえが何かささやきました。しかし・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・それは二月の末の事で、毎日大風が吹きすさび、雨戸が振動し障子の破れがハタハタ囁き、夜もよく眠れず、私は落ちつかぬ気持で一日一ぱい火燵にしがみついて、仕事はなんにも出来ず、腐りきっていたら、こんどは宿のすぐ前の空地に見世物小屋がかかってドンジ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・もちろんこれは大風が吹いて桶屋が喜ぶというのと同じ論法ではあるが、そうかと言ってそういうことが全然ないということの証明もまたはなはだ困難であることだけは確かである。証明のできない言明を妄信するのも実はやはり一種の迷信であるとすれば、干支に関・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫