天王寺の別当、道命阿闍梨は、ひとりそっと床をぬけ出すと、経机の前へにじりよって、その上に乗っている法華経八の巻を灯の下に繰りひろげた。 切り燈台の火は、花のような丁字をむすびながら、明く螺鈿の経机を照らしている。耳には・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・されば、音にも聞かずして、摂津、摩耶山の利天王寺に摩耶夫人の御堂ありしを、このたびはじめて知りたるなり。西本の君の詣でたる、その日は霞の靉靆きたりとよ。……音信の来しは宵月なりけり。 あんころ餅 松任のついでなれば、・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・六十七歳で眠るが如く大往生を遂げた。天王寺墓域内、「吉梵法師」と勒された墓石は今なお飄々たる洒脱の風を語っておる。 椿岳は生前画名よりは奇人で聞えていた。一風変った画を描くのは誰にも知られていたが、極彩色の土佐画や花やかな四条派やあるい・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・しかし、それもお喋りな生れつきの身から出た錆、私としては早く天王寺西門の出会いにまで漕ぎつけて話を終ってしまいたいのですが、子供のころの話から始めた以上乗りかかった船で、おもしろくもない話を当分続けねばなりますまい。しかし、なるべく早く漕ぐ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・軽部は大阪天王寺第×小学校の教員、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取りいるためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の相弟子たる光栄に浴していた。なお校長の驥尾に附して、日本橋五丁目の裏・・・ 織田作之助 「雨」
・・・診立て違いということもあるからと、天王寺の市民病院で診てもらうと、果して違っていた。レントゲンをかけ腎臓結核だときまると、華陽堂病院が恨めしいよりも、むしろなつかしかった。命が惜しければ入院しなさいと言われた。あわてて入院した。 附添い・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 寺田町を西へ折れて、天王寺西門前を南へ行くと、阿倍野橋だ。 途中、すれ違う電車は一台もなかった。よしんばあっても、娘のそんな服装では乗れなかった。焼跡の寂しい道で、人通りは殆どなかったが、かえってもっけの幸いだった。 娘ははだ・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつんで知恵のふくらみ、充実するのを待って、三十二歳の三月清澄山に帰った。 かくて智恵と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 大阪の天王寺の五重塔が倒れたのであるが、あれは文化文政頃の廃頽期に造られたもので正当な建築法に拠らない、肝心な箇所に誤魔化しのあるものであったと云われている。 十月初めに信州へ旅行して颱風の余波を受けた各地の損害程度を汽車の窓から・・・ 寺田寅彦 「颱風雑俎」
・・・斎藤月岑の東都歳事記に挙ぐるものを見れば、谷中日暮里の養福寺、経王寺、大行寺、長久院、西光寺等には枝垂桜があり、根津の社内、谷中天王寺と瑞輪寺には名高い八重咲の桜があったと云う。 一昨年の春わたくしは森春濤の墓を掃いに日暮里の経王寺に赴・・・ 永井荷風 「上野」
出典:青空文庫