・・・観音、釈迦八幡、天神、――あなたがたの崇めるのは皆木や石の偶像です。まことの神、まことの天主はただ一人しか居られません。お子さんを殺すのも助けるのもデウスの御思召し一つです。偶像の知ることではありません。もしお子さんが大事ならば、偶像に祈る・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・康頼は何でも願さえかければ、天神地神諸仏菩薩、ことごとくあの男の云うなり次第に、利益を垂れると思うている。つまり康頼の考えでは、神仏も商人と同じなのじゃ。ただ神仏は商人のように、金銭では冥護を御売りにならぬ。じゃから祭文を読む。香火を供える・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・……何だかこの二三日、鬱込んでいらっしゃるから、貴方の氏神様もおんなじ、天神様へおまいりをなさいまし、私も一所にッて、とても不可ないと思って強請ったら、こうして連れて来てくれたんですもの。草葉の蔭でもどんなに喜んでいるか知れませんよ。早・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・ 我に反るようになってから、その娘の言うのには、現の中ながらどうかして病が復したいと、かねて信心をする湯島の天神様へ日参をした、その最初の日から、自分が上がろうという、あの男坂の中程に廁で見た穢ない婆が、掴み附きそうにして控えているので・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
私がまだ六つか七つの時分でした。 或日、近所の天神さまにお祭があるので、私は乳母をせびって、一緒にそこへ連れて行ってもらいました。 天神様の境内は大層な人出でした。飴屋が出ています。つぼ焼屋が出ています。切傷の直ぐ・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・』『アハハハハハ麦飯を食わして共稼ぎをすればよかろう、何もごちそうをして天神様のお馬じゃアあるまいし大事に飼って置くこともない。』『吉さんはきっとおかみさんを大事にするよ』と、女は女だけの鑑定をしてお常正直なるところを言えばお絹も同・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・それは、いつもの通りに、古代の人のような帽子――というよりは冠を脱ぎ、天神様のような服を着換えさせる間にも、いかにも不機嫌のように、真面目ではあるが、勇みの無い、沈んだ、沈んで行きつつあるような夫の様子で、妻はそう感じたのであった。 永・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・漠たる美辞麗句みたいになってつまらないが、実朝を書きたいというのは、たしかに私の少年の頃からの念願であったようで、その日頃の願いが、いまどうやら叶いそうになって来たのだから、私もなかなか仕合せな男だ。天神様や観音様にお礼を申し上げたいところ・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・木綿をきり売りの手拭を下谷の天神で売出した男の話は神宮外苑のパン、サイダー売りを想わせ、『諸国咄』の終りにある、江戸中の町を歩いて落ちた金や金物を拾い集めた男の話は、近年隅田川口の泥ざらえで儲けた人の話を想い出させて面白い。これの高じたもの・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 六月下旬の或日、めずらしく晴れた梅雨の空には、風も凉しく吹き通っていたのを幸、わたしは唖々子の病を東大久保西向天神の傍なるその居に問うた。枕元に有朋堂文庫本の『先哲叢談』が投げ出されてあった。唖々子は英語の外に独逸語にも通じていたが、・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
出典:青空文庫