・・・朝商売の帰りがけ、荷も天秤棒も、腰とともに大胯に振って来た三人づれが、蘆の横川にかかったその橋で、私の提げた笊に集って、口々に喚いて囃した。そのあるものは霜こしを指でつついた。あるものは松露をへし破って、チェッと言って水に棄てた。「ほれ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
夏の昼過ぎでありました。三郎は友だちといっしょに往来の上で遊んでいました。するとそこへ、どこからやってきたものか、一人のじいさんのあめ売りが、天秤棒の両端に二つの箱を下げてチャルメラを吹いて通りかかりました。いままで遊びに気をとられて・・・ 小川未明 「空色の着物をきた子供」
・・・と曖昧に塩入れ場の前に六尺の天秤棒や、丸太棒やを六七本立てかけてある方に顎をちょいと突き出して搾り場を通り抜けて行ってしまった。 京一は、丸太棒を取って、これがまかない棒というんだろうと思った。従兄は顎でこの棒を指していたと思われた。も・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・山間僻地のここらにしてもちと酷過ぎる鍵裂だらけの古布子の、しかもお坊さんご成人と云いたいように裾短で裄短で汚れ腐ったのを素肌に着て、何だか正体の知れぬ丸木の、杖には長く天秤棒には短いのへ、五合樽の空虚と見えるのを、樹の皮を縄代りにして縛しつ・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・その頃の羅宇屋は今のようにピーピー汽笛を鳴らして引いて来るのではなくて、天秤棒で振り分けに商売道具をかついで来るのであったが、どんな道具があったかはっきりした記憶がない。しかしいずれも先祖代々百年も使い馴らしたようなものばかりであった。道具・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・ ――こんにゃはァ、こんにゃはァ、 腰で調子をとって、天秤棒をギシギシ言わせながら、一度ふれては十間くらいあるく。それからまた、こんにゃはァ、と怒鳴るのだが、そんなとき、どっかから、「――こんにゃくやさーん」 と、呼ぶ声がき・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・ スウスウと缺けた歯の間から鼻唄を洩らしながら、土間から天秤棒をとると、肥料小屋へあるいて行った。「ウム、忰もつかみ肥料つくり上手になったぞい」 善ニョムさんは感心して、肥料小屋に整然と長方形に盛りあげられた肥料を見た。馬糞と、・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 玄関に平伏した田崎は、父の車が砂利を轢って表門を出るや否や、小倉袴の股立高く取って、天秤棒を手に庭へと出た。其の時分の書生のさまなぞ、今から考えると、幕府の当時と同様、可笑しい程主従の差別のついて居た事が、一挙一動思出される。 何・・・ 永井荷風 「狐」
・・・煙管羅宇竹のすげ替をする商人が、小さな車を曳き其上に据付けた釜の湯気でピイピイと汽笛を吹きならして来たのは、豆腐屋が振鐘をよして喇叭にしたよりも尚以前にあったらしい。天秤棒の両端に箱をつるし、ラウーイラウーイと呼んで歩いた旧い羅宇屋はいつか・・・ 永井荷風 「巷の声」
出典:青空文庫