・・・まっ白な広間の寂寞と凋んだ薔薇の莟のと、――無数の仔蜘蛛を生んだ雌蜘蛛はそう云う産所と墓とを兼ねた、紗のような幕の天井の下に、天職を果した母親の限りない歓喜を感じながら、いつか死についていたのであった。――あの蜂を噛み殺した、ほとんど「悪」・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・むしろ天職と呼ぶべきだと思う。You know, Socrates and Plato are two great teachers …… Etc.」と云った。 ロバアト・ルイズ・スティヴンソンはヤンキイでも何でも差支えない。が、ソクラ・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・むろん詩を書くということは何人にあっても「天職」であるべき理由がない。「我は詩人なり」という不必要な自覚が、いかに従来の詩を堕落せしめたか。「我は文学者なり」という不必要な自覚が、いかに現在において現在の文学を我々の必要から遠ざからしめつつ・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・三 それでも当時の毎日新聞社にはマダ嚶鳴社以来の沼間の気風が残っていたから、当時の国士的記者気質から月給なぞは問題としないで天下の木鐸の天職を楽んでいた。が、新たに入社するものはこの伝統の社風に同感するものでも、また必ずしも・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・学校の先生になるということは一種特別の天職だと私は思っております。よい先生というものはかならずしも大学者ではない。大島君もご承知でございますが、私どもが札幌におりましたときに、クラーク先生という人が教師であって、植物学を受け持っておりました・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・それでなければ、やはり、芸術家としての天職に対して、何となくすまなく思うのだ。また、良心に対しても恥かしいような気がするのだ。 このことは、無産派の作家についても言い得る。彼等は、無産階級だ、いかに、搾取されつゝあるかを事実について物語・・・ 小川未明 「何を作品に求むべきか」
・・・この青年はわれに天職ありと自ら約せり。この約束を天の入れたもうや否やは問うところにあらず。 かれは文学と画とを併せ学び、これをもって世に立ち、これをもってかれ一生の事業となさんものと志しぬ、家は富み、年は若し。この望みはかれが不屈の性と・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・この人間の文化の傷を繃帯するということが、一般的にいって、婦人の天職なのではあるまいか。 何といっても男性は荒々しい。その天性は婦人に比べれば粗野だ。それは自然からそう造られているのである。それは戦ったり、創造したりする役目のためなのだ・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・作家を困らせるのを、雑誌記者の天職と心得て居るのだから、始末がわるい。私ひとりで、やきもきしてたって仕様がない。太宰さん。あなたの御意見はどうなんです。こんなになめられて口惜しく思いませんか。私は、あなたのお家のこと、たいてい知って居ります・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・これが、私の天職である。物語を書き綴る以外には、能は無い。まるっきり、きれいさっぱり能がない。自分ながら感心している。ある時は仕官懸命の地をうらやみ、まさか仏籬祖室の扉の奥にはいろうとは、思わなかったけれど、教壇に立って生徒を叱る身振りにあ・・・ 太宰治 「春の盗賊」
出典:青空文庫