・・・痩躯な膝を台洋燈の傍に出して、黙って座ってる女が居る、鼠地の縞物のお召縮緬の着物の色合摸様まで歴々と見えるのだ、がしかし今時分、こんなところへ女の来る道理がないから、不思議に思ってよく見ようとするが、奇妙に、その紫色の帯の処までは、辛うじて・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・だしぬけの、奇妙な申し出だった故、二人は、いえ、構いません、どうぞおあけになって下さいと言ったものの、変な顔をした。もう病気のことを隠すわけにはいかなかった。「……実は病気をしておりますので。空気の流通をよくしなければいけないんです」・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 奇妙なことには、この闇煙草の値は五つの闇市場を通じて、ちゃんと統制されているが、日によって異動がある。つまり相場の上下がある。そして、その相場はたった一人の人間が毎朝決定して、その指令が五つの闇市場へ飛び、その日の相場の統制が保たれる・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・引っ張るということに対しては、猫の耳は奇妙な構造を持っている。というのは、一度引っ張られて破れたような痕跡が、どの猫の耳にもあるのである。その破れた箇所には、また巧妙な補片が当っていて、まったくそれは、創造説を信じる人にとっても進化論を信じ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。 不意に第二のアイディアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・『彼奴は遠からず死ぬわい』など人の身の上に不吉きわまる予言を試みて平気でいる、それがまた奇妙にあたる。むずかしく言えば一種霊活な批評眼を備えていた人、ありていに言えば天稟の直覚力が鋭利である上に、郷党が不思議がればいよいよ自分もよけいに・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・「これは奇妙不思議だ、中西へ手紙をやろうとすると、お蝶さんがやって来る、争えんものだ、」と大森が十七八の小娘に手紙を渡す「アラまたあんな事をおッしゃる、中西さんなんかなんでもないワ、ほんとにあたしくやしいわ、みんなしてからかうんだも・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・その夜は、浜田達にとって、一と晩じゅう、眠ることの出来ない、奇妙な、焦立たしい、滅入るような不思議な夜だった。 あくる日も、中山服は、やはり、その家の中にいた。こちらが顔を出すと、向うも、やはり窓から顔を出す。そして、昨日のように間が抜・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・「それが奇妙で、学校の門を出るとすぐに題が心に浮んで、わずかの道の中ですっかり姿が纏まりました。」「何を……どんなものを。」「鵞鳥を。二羽の鵞鳥を。薄い平めな土坡の上に、雄の方は高く首を昂げてい、雌はその雄に向って寄って行こうと・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが――自分でも分らずに、それだけを見ていたことが、今でも妙に印象に残っている。理窟がなく、こんなことがよくあるものかも知れない。 俺は今朝Nが警察の出がけに持ってきてくれたトマトとマンジュウの包みを・・・ 小林多喜二 「独房」
出典:青空文庫