・・・横井は椅子に腰かけたまゝでその姿勢を執って、眼をつぶると、半分とも経たないうちに彼の上半身が奇怪な形に動き出し、額にはどろ/\汗が流れ出す。横井はそれを「精神統一」と呼んだ。「……でな、斯う云っちゃ失敬だがね、僕の観察した所ではだ、君の・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・新しく引き抜いてつけ加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。 やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だっ・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・損得利害、明白なる場合に、何を渋らるるか、此の右膳には奇怪にまで存ぜらる。主家に対する忠義の心の、よもや薄い筈の木沢殿ではござるまいが。」と責むるが如くに云うと、左京の眼からも青い火が出たようだった。「若輩の分際として、過言にならぬ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
近時世界の耳目を聳動せる仏国ドレフューの大疑獄は軍政が社会人心を腐敗せしむる較著なる例証也。 見よ其裁判の曖昧なる其処分の乱暴なる、其間に起れる流説の奇怪にして醜悪なる、世人をして殆ど仏国の陸軍部内は唯だ悪人と痴漢とを・・・ 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・もとより始めは奇怪なことだと合点が行かなかった。別に証拠といってはないのだから、それが、藤さんがひそかに自分に残した形見であるとは容易に信じられるわけもない。しかし抽斗は今朝初やに掃除をさせて、行李から出した物を自分で納めたのである。袖はそ・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ この奇怪な壁のすがたにはじめて目をとめたものはむすめでした。「まあたくさんな目が」 とそう言いだしました。 なるほどいろいろな目がありました。大きくって親切らしいまじめな目や、小さくかがやくあいきょうのある子どもの目や、白・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ひとが何かいうと、けッという奇怪な、からす天狗の笑い声に似た不愉快きわまる笑い声を、はばからず発するのである。ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲエテの高位高官に傾倒しているらしい、ふしが、無い・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・乗って来た自転車を、其のまま売り払うのは、まだよい方で、おじいさんが懐からハアモニカを取り出して、五銭に売ったなどは奇怪でありました。古い達磨の軸物、銀鍍金の時計の鎖、襟垢の着いた女の半纏、玩具の汽車、蚊帳、ペンキ絵、碁石、鉋、子供の産衣ま・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・写楽の女の変な目や眉も、これが髷の線の余波として見た時に奇怪な感じは薄らいでただ美しい節奏を感じさせる。 顔の輪郭の線もまた重要な因子になっていて、これが最も多くの場合に袖の曲線に反響している。めいめいの画家の好む顔の線がそのままに袖の・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・この気味のわるい靄の中からいろいろの奇怪な伝説が生まれたのだろう。 土人がいろいろの物を売りに来る。駝鳥の卵や羽毛、羽扇、藁細工のかご、貝や珊瑚の首飾り、かもしかの角、鱶の顎骨などで、いずれも相当に高い値段である。 船のまわりをかな・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
出典:青空文庫