・・・内子はわれわれの談話の奇怪に渉るのを知ってか後堂にかくれて姿を見せない。庭に飼ってある鶏が一羽縁先から病室へ上って来て菓子鉢の中の菓子を啄みかけたが、二人はそんな事にはかまわず話をつづけた。 わたしが昼間は外国語学校で支那語を学び、夜は・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・斯くの如き奇怪なる人物が銀座街上に跋扈していようとは、僕年五十になろうとする今日まで全く之を知る機会がなかったからである。 彼等は世に云う無頼の徒であろう。僕も年少の比吉原遊廓の内外では屡無頼の徒に襲われた経験がある。千束町から土手に到・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・だが次の瞬間には、何人にも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、髭の生えた猫の顔が、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・たとえば、人間の一人々々が、誰にも云わず、書かずに、どの位多くの秘密な奇怪な出来事を、胸に抱いたまま、或は忘れたまま、今までにどの位死んだことだろう。現に私だって今ここに書こうとすることよりも百倍も不思議な、あり得べからざる「事」に数多く出・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・不義理不人情、恩を知らざる人非人なれども、世間に之を咎むるものなきこそ奇怪なれ。左れば広き世の中には随分悪婦人も少なからず、其挙動を見聞して厭う可き者あれども、男性女性相互に比較したらんには、人非人は必ず男子の方に多数なる可し。此辺より見れ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・無教育なる下等の暗黒社会なれば尚お恕す可きなれども、苟も上流の貴女紳士に此奇怪談は唯驚く可きのみ。思うに此英語夫婦の者共は、転宅の事を老人に語るも無益なり、到底その意に任せて左右せしむ可き事に非ずとて、夫婦喃々の間に決したることならんなれど・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・然し、事実は愛情もない、別々に生活している男女が法律の上でだけは夫婦で、しかもその法律が物をいい出せば、夫である田村純夫がいろいろ支配力を自分の上に持っているという考えは何と奇怪であろう。陽子は益々自分の中途半端な立場を感じ、謂わば、枝に引・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・日本の婦人の置かれて来た立場の奇怪な矛盾は、私たち自身信じかねるほどである。民法と刑法とにおける婦人の地位というものは、このような悲劇的矛盾のままであるべきではない。 日常生活の幸、不幸にかかわる民法において一人民として婦人が夥しく無力・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・そのほかにはこの奇怪な出来事を判断する種になりそうな事は格別ない。ただ小姓たちの言うのを聞けば、蜂谷は今度紛失した大小を平生由緒のある品だと言って、大切にしていたそうである。またその大小を甚五郎がふだんほめていたそうである。 甚五郎の行・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・ ネーにはナポレオンのこの奇怪な哄笑の心理がわからなかった。ただ彼に揺すられながら、恐るべき占から逃がれた蛮人のような、大きな哄笑を身近に感じただけである。「陛下、いかがなさいました」 彼は語尾の言葉のままに口を開けて、暫くナポ・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫