・・・――その上給金は一文でも、くれと云った事がないのですから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもありますまい。 が、とうとう二十年たつと、権助はまた来た時のように、紋附の羽織をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。そうして慇懃に二十・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・「はい、沢井さんといって旦那様は台湾のお役人だそうで、始終あっちへお詰め遊ばす、お留守は奥様、お老人はございませんが、余程の御大身だと申すことで、奉公人も他に大勢、男衆も居ります。お嬢様がお一方、お米さんが附きましてはちょいちょいこの池・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ が、また娘分に仕立てられても、奉公人の謙譲があって、出過ぎた酒場の給仕とは心得が違うし、おなじ勤めでも、芸者より一歩退って可憐しい。「はい、お酌……」「感謝します、本懐であります。」 景物なしの地位ぐらいに、句が抜けたほど・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・りく いいえ、奥様、私たちを、そんな、様づけになんかなさらないで、奉公人同様に、りくや。その その、と呼棄てに、お目を掛けて下さいまし。撫子 勿体ないわね、あなたがたはれっきとした町内の娘さんじゃありませんか。りく いいえ、・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・両親があんなことになりさえせねば、奉公人とまでなるのではない。親父は戦争で死ぬ、お袋はこれを嘆いたがもとでの病死、一人の兄がはずれものという訣で、とうとうあの始末。国家のために死んだ人の娘だもの、民さん、いたわってやらねばならない。あれでも・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・召使いの奉公人にまでも如才なくお世辞を振播いて、「家の旦那さんぐらいお世辞の上手な人はない」と奉公人から褒められたそうだ。伊藤八兵衛に用いられたのはこの円転滑脱な奇才で、油会所の外交役となってから益々練磨された。晩年変態生活を送った頃は年と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・っても安い月給を甘んじて悪銭苦闘を続けて来た社員に一言の挨拶もなく解散するというは嚶鳴社以来の伝統の遺風からいっても許しがたい事だし、自分の物だからといって多年辛苦を侶にした社員をスッポかして、タダの奉公人でも追出すような了簡で葉書一枚で解・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ その三日の間もお定は床をはなれようとせず、それがいかにも後家の姑めいて奉公人たちにはおかしかったが、いつまでそうしているのもさすがにおとなげないとお定も思ってか、ひとつには辛抱も切れて、起き上ろうとすると腰が抜けて起たなかった。医者に・・・ 織田作之助 「螢」
・・・その言葉を養子夫婦にも、奉公人一同にも残して置いて来た。彼女の真意では、しばらく蜂谷の医院に養生した上で、是非とも東京の空まではとこころざしていた。東京には長いこと彼女の見ない弟達が居たから。 蜂谷の医院は中央線の須原駅に近いところにあ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・当時を想うと、新七はじめ、店の奉公人でも、近所の人達でも、自分等の町の界隈が焼けようなぞと思うものは一人もなかったのである。あの時ほどお三輪も自分の弱いことを知ったためしはなかった。新七でも側にいなかったら、どうなったかと思われるくらいだ。・・・ 島崎藤村 「食堂」
出典:青空文庫