・・・そして、ああ、この人やこの人やというおきみ婆さんの声を聴きながら、じっとその写真を見ているうちに、私は家を出て奉公する決心をしました。その方が悲壮だという気がしたのです。おきみ婆さんに打ち明けると、泣いて賛成してくれました。私もおおげさだっ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・それも時田には気が付かない、『なんでも詳しい事は聞かなんだが、今度の継母に娘があってそれが海軍少将とかに奉公している、そいつを幸ちゃんの嫁にしたいと思っているらしい、幸ちゃんはそれがいやでたまらない、それを継母が感づいてつらく当たるらし・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・そして誠忠奉公の公卿たちは鎌倉で審議するという名目の下に東海道の途次で殺されてしまった。かくて政権は確実に北条氏の掌中に帰し、天下一人のこれに抗議する者なく、四民もまたこれにならされて疑う者なき有様であった。後世の史家頼山陽のごときは、「北・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・何故、吾々がシベリアへよこされて、三年兵になるまでお国のために奉公して、露西亜人と殺し合いをしなければならないか。その根本の理由はよく分っている。吾々が誰れかの手先に使われて、馬鹿を見ていることはよく分っている。露西亜人に恨がある訳ではない・・・ 黒島伝治 「戦争について」
・・・おまえの母さんはおいらが甲府へ逃げてしまって奉公しようというのを止めてくれたけれども、真実に余所へ出て奉公した方がいくらいいか知れやしない。ああ家に居たくない、居たくない。」と云いながら、雲は無いがなんとなく不透明な白みを持っている柔和・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・私たちが坂の下の石段を降りるのを足音できき知るほど、もはや三年近くもお徳は私の家に奉公していた。主婦というもののない私の家では、子供らの着物の世話まで下女に任せてある。このお徳は台所のほうから肥った笑顔を見せて、半分子供らの友だちのような、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・でございますが、道楽気が強い、というのでございましょうか、田舎のお百姓を相手のケチな商売にもいや気がさして、かれこれ二十年前、この女房を連れて東京へ出て来まして、浅草の、或る料理屋に夫婦ともに住込みの奉公をはじめまして、まあ人並に浮き沈みの・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・以前に宅に奉公していた女中の家だったか、あるいはその親類の家だったような気がする。夕方この地方には名物の夕凪の時刻に門内の広い空地の真中へ縁台のようなものを据えてそこで夕飯を食った。その時宅から持って行った葡萄酒やベルモットを試みに女中の親・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・遊芸をみっちり仕込んだ嫖致の好い姉娘は、芝居茶屋に奉公しているうちに、金さんと云う越後産の魚屋と一緒になって、小楽に暮しているが、爺さんの方へは今は余り寄りつかないようにしている。「私も花をあんなものにくれておくのは惜しいでやすよ。多度・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ところが、同じ荷馬車稼業をしている勘さんの娘というのは、ちかごろ女中奉公さきからもどっていて、三吉は知っているが、これはおよそくつじょくであった。だいいちに鼻がひくかった。眼も、口も、眉も、からだじゅう、どこにひとつかがやきがなかった。鼻が・・・ 徳永直 「白い道」
出典:青空文庫