・・・ぶざまでも、私は私のヴァイオリンを続けて奏するより他はないのかも知れぬ。汽車の行方は、志士にまかせよ。「待つ」という言葉が、いきなり特筆大書で、額に光った。何を待つやら。私は知らぬ。けれども、これは尊い言葉だ。唖の鴎は、沖をさまよい、そう思・・・ 太宰治 「鴎」
・・・四月四日 日曜で早朝楽隊が賛美歌を奏する。なんとなく気持ちがいい。十時に食堂でゴッテスディーンストがある。同じ事でも西洋の事は西洋人がやっているとやはり自然でおかしくない。四月五日 朝甲板へ出て見ると右舷に島が二つ見える。窓・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するもの、唯南京蕎麦売の簫があるばかりとなった。 新内語りを始め其他の街上の芸人についてはここに言わない。 その日その日に忘れられて行く市井の事物を傍観して、走馬燈でも見るよう・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・この苗木のもとに立って、断髪洋装の女子と共に蓄音機の奏する出征の曲を聴いて感激を催す事は、鬢糸禅榻の歎をなすものの能くすべき所ではない。巴里には生きながら老作家をまつり込むアカデミイがある。江戸時代には死したる学者を葬る儒者捨場があった。大・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・而してこの習慣の学校は、教授の学校よりも更に有力にして、実効を奏すること極めて切実なるものなり。今この教師たる父母が、子供と共に一家内に眠食して、果たして恥ずるものなきか。余輩これを保証すること能わず。前夜の酒宴、深更に及びて、今朝の眠り、・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・其文に優美高尚なるものあり、粗野過激なるものあり、直筆激論、時として有力なることなきに非ざれども、文に巧なる人が婉曲に筆を舞わして却て大に読者を感動せしめて、或る場合には俗に言う真綿で首を締めるの効を奏することあり。男子の文章既に斯の如し。・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・三冬の育教、来年の春夏に功を奏するか。いわく、否なり。少年を率いて学に就かしめ、習字・素読よりようやく高きに登り、やや事物の理を解して心事の方向を定むるにいたるまでは、速くして五年、尋常にして七年を要すべし。これを草木の肥料に譬うれば、感応・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・彼女の奏するピアノをきいて、スーの父親である老教授は、かすかに慄えて、自分がこれまでの生涯を浪費したことを悲歎した。その恐怖が彼女にブレークと自分との生活の実体についての疑問を目ざめさせたのであった。 スーザンは、家の附近の粗末なアパー・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・並木道にも音楽堂があって、労働者音楽団の奏する音楽が遠くまで、夜おそくまで聞える。 ソヴェト同盟はひろい国だ。北と南との端では気候がまるきり違う。モスクワ辺は、五月下旬から九月までが夏で、あと短い雨の多い秋からすぐ半年の冬に入るから、夏・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
・・・喇叭は進撃の譜を奏する。高くげた旗を望んで駈歩をするのは、さぞ爽快だろうと思って見る。木村は病気というものをしたことがないが、小男で痩せているので、徴兵に取られなかった。それで戦争に行ったことはない。しかし人の話に、壮烈な進撃とは云っても、・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫