・・・ 五 神巫たちは、数々、顕霊を示し、幽冥を通じて、俗人を驚かし、郷土に一種の権力をさえ把持すること、今も昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。 むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥した。小や・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 奥羽線の松島へ戻る途中、あの筋には妙に豆府屋が多い……と聞く。その油揚が陽炎を軒に立てて、豆府のような白い雲が蒼空に舞っていた。 おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処で夜がふけて、やっぱりざ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・乗替えの奥羽線の出るのは九時だった。「それではいよいよ第一公式で繰りだしますか?」「まあ袴だけにしておこうよ。あまり改った風なぞして鉄道員に発見されて罰金でも取られたら、それこそたいへんだからね」 私たちはまだこんな冗談など言い・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・た本線の混雑はよほどのものだろうと思われ、とても親子四人がその中へ割り込める自信は無かったし、方向をかえて、小牛田から日本海のほうに抜け、つまり小牛田から陸羽線に乗りかえて山形県の新庄に出て、それから奥羽線に乗りかえて北上し、秋田を過ぎ東能・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ ☆ 高野さちよは、奥羽の山の中に生れた。祖先の、よい血が流れていた。曾祖父は、医者であった。祖父は、白虎隊のひとりで、若くして死んだ。その妹が家督を継いだ。さちよの母である。気品高い、無表情の女であった。養・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・一日のうちに九州から奥羽へかけて十数か所に山火事の起こる事は決して珍しくない。こういう場合は、たいてい顕著な不連続線が日本海から太平洋へ向かって進行の途中に本州島弧を通過する場合であることは、統計的研究の結果から明らかになったことである。「・・・ 寺田寅彦 「藤の実」
・・・数年の後、奥羽地方に鉄道を通ずるの日には、今の蒸気船便もまた、はなはだ遅々たるを覚ゆることならん。 ゆえに、古人の便利とするところは、今日はなはだ不便なり。今日の便利は、今後また不便とならん。古人は今を知らずして、当時の事物を便利なりと・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ 明治廿六年の夏から秋へかけて奥羽行脚を試みた時に、酒田から北に向って海岸を一直線に八郎湖まで来た。それから引きかえして、秋田から横手へと志した。その途中で大曲で一泊して六郷を通り過ぎた時に、道の左傍に平和街道へ出る近道が出来たという事・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・ 蕪村は総常両毛奥羽など遊歴せしかども紀行なるものを作らず。またその地に関する俳句も多からず。西帰の後丹後におること三年、因って谷口氏を改めて与謝とす。彼は讃州に遊びしこともありけん、句集に見えたり。また厳島の句あるを見るにこの地の風情・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・はるか左側に雄大な奥羽山脈をひかえ、右手に秋田の山々が見える。その間の盆地数十里の間、行けど、行けど、青々と茂った稲ばかりである。 関東の農村は、汽車でとおっても、雑木林をぬけたところには畑があり、そこでヒエが穂を出しているかと思うと、・・・ 宮本百合子 「青田は果なし」
出典:青空文庫