・・・そのまた小えん自身にも、読み書きといわず芸事といわず、何でも好きな事を仕込ませていた。小えんは踊りも名を取っている。長唄も柳橋では指折りだそうだ。そのほか発句も出来るというし、千蔭流とかの仮名も上手だという。それも皆若槻のおかげなんだ。そう・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・そこに大俗物の九頭竜と、頭の悪い美術好きの成金堂脇左門とが、娘でも連れてはいってくる。花田の弟になり切った俺がおまえといっしょにここにいて愁歎場を見せるという仕組みなんだ。どうだ仙人どももわかったか。花田の弟になる俺は生きて行くが、花田の兄・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・女より食物だね。好きな物を食ってさえいれあ僕には不平はない。A 殊勝な事を言う。それでは今度の下宿はうまい物を食わせるのか。B 三度三度うまい物ばかり食わせる下宿が何処にあるもんか。A 安下宿ばかりころがり歩いた癖に。B 皮・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
一 年紀は少いのに、よっぽど好きだと見えて、さもおいしそうに煙草を喫みつつ、……しかし烈しい暑さに弱って、身も疲れた様子で、炎天の並木の下に憩んでいる学生がある。 まだ二十歳そこらであろう、久留米絣・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 君が歌を作り文を作るのは、君自身でもいうとおり、作らねばならない必要があって作るのではなく、いわば一種のもの好き一時の慰みであるのだ。君はもとより君の境遇からそれで結構である。いやしくも文芸にたずさわる以上、だれでもぜひ一所懸命になっ・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉や青桐の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。 それに、その葉かげから、隣りの料理屋の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・椿岳が小林姓を名乗ったのは名聞好きから士族の廃家の株を買って再興したので、小林城三と名乗って別戸してからも多くは淡島屋に起臥して依然主人として待遇されていたので、小林城三でもありまた淡島屋でもあったのだ。 尤もその頃は武家ですらが蓄妾を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一度打つたびに臭い煙が出て、胸が悪くなりそうなのを堪えて、そのくせそのを好きなででもあるように吸い込んだ。余り女が熱心なので、主人も吊り込まれて、熱心になって、女が六発打ってしまうと、直ぐに跡の六発の弾丸を込めて渡した。 夕方であったの・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
一 さよ子は毎日、晩方になりますと、二階の欄干によりかかって、外の景色をながめることが好きでありました。目のさめるような青葉に、風が当たって、海色をした空に星の光が見えてくると、遠く町の燈火が、乳色のもやのうちから、ちらちらとひ・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・そのくせ俺は湯が好きでね」「そうね。金さんは元から熱湯好きだったね。だけど、酔ってる時だけは気をおつけよ、人事じゃないんだよ」「大きに! まだどうも死ぬにゃ早いからな」「当り前さ、今から死んでたまるものかね。そう言えば、お前さん・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫