・・・野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。「・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・――信子はそんな好もしいところを持っていた。 今彼の前を、勝子の手を曳いて歩いている信子は、家の中で肩縫揚げのしてある衣服を着て、足をにょきにょき出している彼女とまるで違っておとなに見えた。その隣に姉が歩いている。彼は姉が以前より少し痩・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「そうかね、それは好もしい。」「しかし、戦争をするのは、兵卒の意志じゃないからな。」「軍司令官はどこまでも戦争をするつもりなんだろうか。」「内地からそれを望んできとるというこったよ。」「いやだな。――わざわざ人を寒いとこ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・同年の誰れ彼れが、それぞれ好もしいものを買って貰ったのを知ると、彼女達はなおそれをほしがった。「良っちゃんは、大島の上下揃えをこしらえたんじゃ。」お品は縫物屋から帰って来て云った。「うち毛のシャツを買うて貰おう。」次女のきみが云・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・それは老人達にとって好もしいものではなかった。 駅で、列車からプラットフォームへ降りて、あわたゞしく出口に急ぐ下車客にまじって、気おくれしながら歩いていると、どこからやって来たのか、若々しく着飾った、まだ娘のように見えないでもない女が、・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・実に粗末なものではあるが、しかし釉の色が何となく美しく好もしいので試しに値を聞くと五拾銭だという。それでは一つ貰いましょうと云って、財布を取り出すために壷を一度棚に返そうとする時に、どうした拍子か誤ってその壷を取り落した。下には磁器の堅いも・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・忘れようとして忘られず、思い起して死んだ者、先った物の為に流す涙、溜息は、男のでもかなり好もしいものです。濛々とした雲は鎮り、微にやけた鉄のような色を反映させながら、依然として雲の柱第二級天の宮を支えている。ヴィンダ・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫